pp. 81-92 in 遺伝子工学の日本における受けとめ方とその国際比較,ダリル・メイサー (Eubios Ethics Institute, 1992).
All commercial rights reserved. This publication may be reproduced for limited educational or academic use, however please enquire with the author.
バイオテクノロジー研究の新しい波は私企業によるものがほとんどで、これらの企業は製品や技術の輸出による利益増加等の国益のために研究が奨励されています。
バイオテクノロジーはその定義において、基礎研究ではなく応用研究といってよいでしょう。このような研究は、病気に抵抗力のある作物やワクチンといった特別なゴールにターゲットを置いていますが、バイオテクノロジーの発展を維持するには、基礎研究をさらに進めていかなければなりません。生態系の未解明の側面もありますし、未知の生命体もまだあるのです。第4章で取り上げたように、新しい環境に導入する生物の生態、様々な新品種の生物の生態、農薬と代替農業技術の環境への影響についても私達は知る必要があります。有益な特徴があり、バイオテクノロジーに応用可能な遺伝子についても明らかにする必要があります。
研究機関には大学、政府、私設研究機関、病院などがあります。資金源は政府、寄付、産業界などですが、日本では研究資金源はほとんど産業界なのに対し、ニュージーランドでは主に政府の税収入を使っています。日本の科学研究開発資金の約19%は政府からですが、オーストラリアでは50%、イギリスでは37%、フランスでは48%、ドイツでは33%、オランダでは42%、ニュージーランドでは63%、そしてアメリカでは48%が政府からです。アメリカでは政府資金の約7%が科学研究開発資金として使われているのに対し、日本ではたった3%が、そして西ヨーロッパの国々では4〜5%の政府資金が費やされています(OECD 1991)。
日本のバイオテクノロジーの分野では政府は多くの投資を行なっています。1990年には政府機関は900億円、産業界は2000億円を費やしました(Karube 1990, Scheidegger 1991)。国際的、国内的に研究は何十年もの間ビジネスのチャンスと見なされ、特に日本ではそれが顕著です。多くの人が知識の追求自体を良いことだとしていますが、利益を生む知識の追求がますます重要視されてきています。研究を行う上でもう一つ重要な点は、国の経済と誇りですが、より多くの国際援助を行えると見なされた場合、これは政治的利益に置き換えることもできます。
私企業の目的が国全体のものと異なることは明らかです。欧米のバイオテクノロジー企業の多くは非常に小規模ですが、多国籍企業がバイオテクノロジー研究において支配的になりつつあります。アメリカには1000余りのバイオテクノロジー企業がありますが、利益を得るまでに長い研究期間が必要なことから、多くが財政的に苦しい状態にあります(OTA 1991)。様々な国の様々な判定で特許申請も長い法廷闘争を強いられています。アメリカのバイオテクノロジー産業は40億ドルと評価されていますが、今世紀終わりまでには500億ドルになると見なされ、1991年はバイオテクノロジー産業全体が初めて利益を出した年です。多くのバイオテクノロジー企業が巨大な多国籍企業に買収されています。日本ではアメリカに比べ小会社設立が難しいことから、1980年代初期からバイオテクノロジーに投資しているのは主に政府各省庁と巨大多国籍企業です。またこれらの企業は研究開発に投資するのに充分なだけの利益もあげました。国際的には、国よりも多国籍企業間での競争のほうが厳しくなるでしょう。
日本ではしばしば、分野によっては西側諸国に遅れをとっているといわれますが、西側では反対の議論がなされます。バイオテクノロジーのある分野においては日本は特に強く、とりわけ発酵産業においては世界のアミノ酸の2/3、そして抗生物質の60%を生産しています。しかし遺伝子工学の農業、医療への応用では西側に遅れているようです。またアメリカはバイオテクノロジーの商業化では首位を占めるているとみなされています(OTA 1991)。
経済と人的、環境的利益
バイオテクノロジーとビジネスのこのような関係は、第一目的が人間や環境にとって望ましいということよりは経済的利益にあることを意味しています。これは新しい現象ではなく、世界中で人々が優先順位決定の際の衝突に気付き始めています。バイオテクノロジーが人類に利益をもたらすことは期待できますが、それが企業投資の理由ではないのです。人間や環境にとって望ましいことは二次的なものです。今までに行なわれた他の世論調査と日本で行われた本調査の問7cでは、多くの人が遺伝子操作の主な利益は経済よりも人類にあると答えています(56ページ、表4-6参照)。50〜60%の人が人類と医学への利益、5〜8%が環境への利益を挙げていますが、国民経済への利益をあげたのは5〜7%、国民の生活水準の向上は2〜3%でした。遺伝子操作のリスクについての質問では、1〜3%が金銭的利益は安全規準の軽視に繋がると考えています。しかし企業の安全性に関する発言がいかに信用されていないか――企業に働く科学者からも――をはっきりと示しているのは問16c(128ページ、表8-1参照)でしょう。製品の安全性についての企業の発言を信じるとしたのは一般市民のわずか10%に過ぎません。そして政府機関に働く科学者ではわずか6%、しかし企業に働く科学者では24%でした。ところが政府機関の科学者の26%、企業の科学者の35%は政府機関の科学者の安全性に関する発言は信じると答えています(132ページ、表8-2参照)。
東京と大阪の市民を対象とした電通の調査(1985)では、バイオテクノロジーに取り組んでいる企業に対してどのようなイメージを持つかを例の中から選ばせています。回答は、「研究開発に熱心」が54%、「将来性がある」が33%、「技術がすぐれている」が32%、「先見性のある」が28%、「積極性がある」が23%、「余裕のある」が5%、「ひとつもない」が13%でした。否定的な面では、「親しみやすい」はわずか2%、「信頼感がある」は3%、「消費者のことを考えている」は6%でした。これらの回答から、一般市民はバイオテクノロジー企業に将来性があると考えていると解釈できるでしょう。しかし否定的なイメージの回答のほうが企業への猜疑心を見る上で参考になります。日本では商業的なバイオテクノロジー研究は大企業の手によって行われているのは確かですが、この猜疑心はバイオテクノロジー企業に限ったことではないかも知れません。
経済と環境
経済発展の環境への影響は様々ですが、汚染や生物的多様性の損失等、一般に否定的です。ビジネスの目的が製品の消費にあり、生産には常にエネルギーと資源を必要とするため、経済活動はエネルギーと資源を消費するのです。エネルギー生産は汚染と、また資源の消費を伴います。経済活動に必要なエネルギーが汚染と繋がる限り、安定した環境の維持とは相反します。企業は自社そして他社が出す汚染を除去する製品の販売で利益を図ることもできるでしょうが、近視眼的経済が環境を破壊するのです。生きるために人間は食物の消費や多少の贅沢は必要でしょうが、工業国では消費過剰です。
経済の原動力には環境へ寄与するような方向づけが必要ですが、これは製品の消費を増やすことではありません。1989年3月、5カ国共同世論調査が行われ、経済の発展と環境や自然保護ではどちらが大切だと思うかが問われました( 総理府広報室1989)。結果は図5-1に示す通りです。日本では他の4カ国に比べ環境や自然保護を大切にするようです。しかし、この意見が現実の状況に反映されているというわけではありません。バイオテクノロジーは環境に利益をもたらすはずです。問7cでは一般市民の5〜8%が遺伝子操作の環境への利益を認識しています(56ページ、表4-6参照)。問16fで賛成という答えもたくさんありました(77ページ、表4-9参照)。成育の早い木や植物(バイオマス)といった転化使用可能なエネルギーの利用が一例です。これらの植物はエネルギーとして燃すことも、液体燃料としてエタノールに発酵することもできるため、立派なゴールですが、なお転化使用可能なエネルギー源への転換に加え、エネルギー消費の削減にも努力し続けなければならないでしょう。
環境問題の一例としては、化学肥料と農薬の複合使用による集約的な農業をあげることができます。食糧生産のために多くの国で必要なものではありますが、このような人工的手段がより少なくてすむ作物や動物のシステムに変える努力が必要です。しかし工業国の企業は複合使用を必要とする方向でバイオテクノロジーの応用研究を続けていますがそれはこのほうが利益が大きいからです。複合使用では農家は製品を企業から買わなければならないので、企業には常に収益が入ります。除草剤に強い作物の畑では除草剤を散布しても雑草だけが枯れます。遺伝子工学による除草剤に強い植物の開発では、種子と除草剤の両方が同じ企業によってコントロールされているのです(BWG 1991)。生物分解しない除草剤を使うシステムの代わりに新しい除草剤とそれに強い作物を使用することで環境の利益になりますが、一方では病虫害の生物防除の使用にも努めなければなりません。自然受粉できる植物に遺伝子を直接導入するような植物育成に遺伝子工学が使われるべきでしょう。これなら農家は種子と化学会社(これらは同じ多国籍企業にコントロールされる場合が多い)に依存しなくてすみます。
もう一つの問題は保存とお金の問題です。1991年 Merck & Co. 社は同社がコスタリカのある熱帯林地域で発見する新「製品」について、コスタリカ政府と2000年までの独占契約を結びました。まるで狩猟ライセンスのようです。これが成功すれば、同社は新たに発見された物質から利益を得、その何割かはコスタリカに支払われるのです。これは実はそれほど新しいことではなく、工業国は新しい作物と製品の開発のために種子、遺伝子資源を何世紀にもわたって、他の国々から集めてきたのです(Juma 1989)。1982年のOECDの見積もりでは、アメリカの主要作物への発展途上国の貢献は年間数千万ドルに上るといわれています。
国際経済への意味
歴史を通じて遺伝子資源は経済繁栄に結び付けられてきました。従ってたくさんのの資源を保有している多くの発展途上国は有利な立場にあるわけですが、その資源を自らの手で管理し、また保存にも努めなければなりません。1980年代の中頃から日本では農林水産省と科学技術庁によりいくつかの遺伝子銀行が設立されました。バイオテクノロジーの原料としての遺伝子の重要性に気付いたことと、またアメリカの遺伝子銀行がその政策を変え、遺伝物質に対する無料アクセスに厳しい制限を加えることを憂慮したためです。国際的には遺伝子銀行のネットワークがあり、保存された物質の自由なアクセスを提供するものもあります。
バイオテクノロジーは農業の効率を改善すると見られています。農業効率の向上により、多くの国では食糧の自給が可能になります。つまり農産物輸出国は生産物の輸出が難しくなり、価格も下がるため、外貨獲得の手段を失うことになります。こうした国々は国際経済市場での競争が難しくなり、工業製品輸出国への負債が増加することも考えられます。中期的には、発展途上国は農産物を特殊な繊維製品や高級食品、高付加価値製品といった高級品に転換する方法もあります。医薬品や治療用タンパク質は動植物から作り輸出することができますが、動植物の遺伝子操作研究は工業国に集中しており、多くの場合その国の小規模農家がこうした化合物に対する国家的需要を満たすことができます。新甘味料、油といった食品工業製品は植物から作ることができますが、これは広大な作付け面積を必要とします。しかし、その地域の食用作物を作ってその上にこれらの作物を作ることができるかという問題もあります。
国内的には地域構造を保存する方向でのバイオテクノロジーの適用が必要です。発展途上国では農業分野は労働人口の80%を雇用していますが、工業国ではたったの5〜10%に過ぎません。作物の中には労働集約的なものもあれば、そうではないものもあり、例えばアブラヤシ農園はバナナ農園の1/3の労働力で済むのです。雑草取りの代わりに除草剤に強い作物を使うことは、一見、農場の労働力の削減になり利益となるように見えますが、実際は多くの人、特に女性が職を失い、貧困の悪化に繋がるのです。害虫に強い品種のほうが農薬がいらないので利益になるでしょう。同じく気候の変化に強い品種を育てることで年間を通しての作付けが可能になり、こうした植物が育つ地理的地域が広がるため仕事が増えます。効果は国により様々なのです。例えば、乳牛の乳の出を良くするために牛の成長ホルモンを使うことは、大規模農家が有利になるとして西欧諸国の多くのグループが反対していますが、メキシコ、パキスタンなどの発展途上国は、粉ミルクの輸入を減らすことができるとして逆に歓迎しています。
バイオテクノロジーの最近の応用に、酵素を使ってコーンスターチを甘味料用高果糖のコーンシロップに換え、砂糖の輸入を減らすという例があります。日本とアメリカは高果糖コーンシロップの最大生産国ですから、発展途上国には大量失業に加え、年間約100億ドルの売上減となります。こうした製品は代替製品と呼ばれ、発展途上国からの製品輸入は減少し続けるでしょう。別の例では、三井石油化学工業の細胞培養により開発されたたシコニンがあり、これは化粧品に使われています。つまり発展途上国の生産者は市場を失ったわけです。1984年には鐘紡が口紅のバイオシリーズを発表し、バイオテクノロジーの肯定的なイメージにより高い売上をあげました。工業国の人はこれの招く結果に気がついていないかも知れません。しかしバイオテクノロジーは確実に国際貿易の状況を変えていきます。工業国の輸入減で発展途上国はさらに貧しくなるため、国際援助がより必要になります。発展途上国の工業国への依存を高め、その政治的パワーを拡大する計画がこの背後にあると疑う向きもあるでしょう。貧困はしばしば戦争に繋がり、戦争の拡大は全ての人の損害になることを考えると、これは非常に危険な道なのです。
それでもなお、バイオテクノロジーは全ての国のためになるような利益もたくさんもたらすことは明らかで、研究意欲をその方向に導くべきです。ほとんどの国は食料の安定した国内自給を保障されるでしょう。1990年代中頃までには、遺伝子工学で作られた例えば病気に抵抗力のある作物等、新しい作物が発展途上国に商業的に導入されると予想されます(Moffat 1992)。成育の早いバイオマス(燃料源として石油輸入の減少に有効)の開発は、発展途上国への利益になります。環境への明白な寄与に加え、エネルギー源としての石油とガスの輸入への依存を減らすことにもなります。
しかし以上はテクノロジーや様々な品種が発展途上国へ輸出されるかどうかにかかっています。研究が公費で賄われた研究所で行われ、結果を自由に発表できるなら、テクノロジーの国際移転に問題はないでしょう。政府は開発援助の一環としてテクノロジーを他国へ渡すこともできます。国によっては通常テクノロジーの輸出を認める非営利の私設団体がバイオメディカル研究にも重要な役割をしています。生産技術の販売利益を期待しなければ、発展途上国に無料でテクノロジーを輸出すると言う企業もあります。こうした行為によって企業は工業国の国民の支持を得るでしょうし、発展途上国はどのみち新品種を買うことができないでしょうから何の損失にもなりません。しかしこの場合開発されるのは工業国にとって商業的価値のある品種だけであって、開発途上国の研究者はローカルな品種を開発していかなければならないことを忘れてはなりません。
バイオテクノロジーの利益は全ての人が分かち合うべきです。この点に関しては倫理的宗教的根拠――「汝の隣人を愛せよ」、最大多数の最大幸福という功利主義的理想――、公正の倫理的法的原則があげられます。国際人権宣言27条(1)は、世界の多くの国がそれぞれの国に合った形で遵守することに合意した基本的公約です(Sieghart 1985)。(1) 全ての人は、文化的社会生活を自由に営み、科学的発展とその利益を分かち合う権利を有す。(下線は強意のため付加)。万人が等しくテクノロジーの利益にあずかる権利があるという主張は、誰がバイオテクノロジーの適用の決定を下すのかと言う問題も含め、バイオテクノロジー全ての局面において考慮されなければなりません。これはテクノロジーの共有と生命に関する倫理的問題の議論にとって重要な問題です。
生物や、遺伝物質に特許を与える問題は多くの国々で異論のあるところです。アメリカ等多くの国では通常の特許規準が全対象に当てはまります。つまり発明は新しさ、非自明、実用性という特性を要求され、所定の場所に提出されなければなりません。1985年にアメリカ特許庁はトウモロコシの一品種に特許を与え、1987年には倍数体牡蠣 を特許対象に規定し、1988年には鼠に特許を与えました(Lesser 1989, OTA1989)。問題の鼠は活性腫瘍遺伝子を保有し、"Oncomouse"と呼ばれ、発癌製物質に対し非常に敏感で、物質の安全性の検査に使われます。特許は活性腫瘍遺伝子を持つような遺伝子操作を施した動物すべてにまでおよび、この決定は特許の倫理的問題の議論に拍車をかけました。
同様の特許項目を受け入れながらも、特定の発明を除外した国もあります。例えばヨーロッパ特許条約は動植物の特許を除外しています。1989年にヨーロッパ特許事務所は"Oncomouse"の特許申請を却下しましたが、1991年10月にこの決定を覆し、特許を認めました(Aldhous 1991)。1988年のECの指導草案は遺伝子工学を施した動物に特許を認めるという考え方を支持しており(EC1988)、承認待ちの段階です。この決定はさらに議論され続けるでしょうが、結果は誰にもわかりません (Rogers 1992)。動物に特許を与えるという考えに拒否反応を示す国もあり、デンマークは法律から動物の特許を除外しています。日本とニュージーランドはアメリカの特許法に倣う傾向があり、生命体を除外していません。日本はいくつかの動植物に特許を認めており、植物の知的所有権を認める「種苗法」が別にあります。例えば、この種苗法に基づきキリンビールは1992年3月、遺伝子組変えを利用したミニトルコギキョウの品種登録を出願しました。これはある細菌から取り出した、植物を小さくする性質を持った遺伝子をトルコギキョウに組み入れるというもので、この技術を用いれば高さを1メートルから20〜60センチに抑え、花の数と咲いている期間をそれぞれ倍近くにすることができます。
国立や私立研究所での多くの新発見に特許が与えられています。特許資格を有する発見は新しく、自明ではなく、役にたつものでなければなりません。もし申請された発明がその分野の研究者にとって最も論理的で明白な単なる次のステップであるならば、それは特許という観点からは発明とはいえません。自然界の産物の場合、様々なグループが分子構造やシークエンス(分子の並び方)を時とともに詳細に発表しているわけで、新しさと非自明性を失っている可能性があります。医学的な用途のある分子に特許が与えられるのはその有用な働きに化学構造や活性の有用性が特許申請時に新しい場合です。特許は発明に報いる方法ですが、遺伝物質の単なるシークエンスは発明とは言えないかも知れません。しかし遺伝子スクリーニングに使用される短いオリゴヌクレオチドのプローブにはその有用性を理由に特許が与えられています。大きいDNAの用途を示すことができれば、理論的には特許を取れることになります。
遺伝子のシークエンス、マッピング、発現等のための方法は、それを発明し、特許を取ることが可能です。バイオテクノロジーのプロセス(処理課程)特許は既存のプロセス特許と同様に考えることができます。その情報が特殊な病気の研究に活用される――例えば、人間特定の病気のモデルを作るために動物に遺伝子を注入する――こともあります。活性腫瘍遺伝子のシークエンスを含むため発癌性物質に敏感な"Oncomouse"を作るプロセスは特許を与えられています。遺伝情報はまた、例えばDNAベクター(運搬用媒介体)を利用した遺伝子治療のテクニックを使うことにより、病気の治療にも使用することができます。タンパク質を直接治療に使う方法は既に確立されており、これらの製品にも特許が与えられる可能性がありますが、一般に、医療プロセスは倫理的実用的理由から特許を与えられてはいない点に、留意しなければなりません。
発明者が開発に費やした時間は、特許製品が市場に出ることで部分的にせよ報いられます。製品の効果と安全性が証明されると認可が下り、製品の売上によっては製造会社に多大な収入をもたらすことができます。その中に発明者への「報酬」も含まれています。遺伝子工学の応用による医薬や医療用製品の世界市場は1991年で約30億ドルに上り、2000年には300億ドル以上になると予想されます。単一製品のもたらす売上が大きな額にのぼることもあり、例えば日本でのエリトロポエチンタンパク質(EPO)の売上は現在年間420億円にもなり、2、3年の内に700億円になると予想されます。エリトロポエチンは慢性腎臓疾患の患者の赤血球の生成を促進することに使われます。1991年のアメリカでのエリトロポエチンの売上は4億ドルで、成長ホルモンは2.3億ドルでした。
このシステムは自給的で、特許が認められれば企業は研究に時間を割きますが、逆の場合は、企業の研究への意欲は減り研究全体が減少します。従って特許制度のもとではより研究が行なわれ、知識が豊富になるわけですが、どのような社会でも所有権は完全に保護されることはありません。「公共の利益」、「社会的要請、「公共の利便性」のための公正の原則で社会は財産を没収することができるからです。また特許法には対象物が「一般市民の道徳に危害を及ぼす」場合に特許を認めないという適用除外項目があり、ある種の動物はこれに当てはまるかもしれません。
1991年にアメリカで人間の遺伝子337個を一括して特許申請が提出された時、議論が沸き起こりました(Roberts 1991a)。特許政策が問題になったのです。1992年初頭、さらに2375個の遺伝子が同じ人達により特許申請されました。現代の技術をもってすれば人間の遺伝子10万個を数年の内にシークエンスすることができます。数千の人間の遺伝子に対する特許申請がこれに続いて行われるでしょうが、その有益性が示されていないため、このような幅広い特許申請はその倫理的政治的問題とは無関係に却下されるでしょう。上記の申請は NIH(アメリカ国立衛生研究所)の名で行われましたが、NIH内 部にも反対の人は多くいます (Roberts 1992) 。この政府団体は特定のアメリカ企業にサブライセンスを与えてその遺伝子の研究を行なわせることにより、アメリカのバイオテクノロジー産業を国際競争から「保護」しようと試みるかもしれません。しかし英国、フランス、日本の研究者もたくさんの遺伝子シークエンス(上記と同じ遺伝子とシークエンスを含む)を解明しており、特許戦争がおこって、ヒトゲノムプロジェクトの国際科学協力が深刻なダメージを受ける可能性があります。このような特許の有効性を法廷が裁定するまでには何年もかかるため、こういった申請を特許局が受理する結果になった場合に備えてさらに多くの申請がなされることが予想されます。実際、これらのシークエンスのマーカーが公表されれば企業が遺伝子の特許を取ることがさらに難しくなり、研究意欲が損なわれることも考えられます。各国政府は政策について検討を重ねています。フランス政府と日本の研究者はそのような特許は申請しないと発表しています(Swinbanks 1992)。イギリスは、1992年3月、1000以上の遺伝子に対する同様な特許を申請しました。しかしイギリスはフランスと共にそのような特許が承認された場合は放棄するという国際的同意を得ようと呼びかけています。人間の遺伝物質は人類共通の財産であり、特許を与えるべきではないでしょう(Macer 1991)。法的には有効と判断されても、世論は遺伝物質の特許に関する政策を変更させることができます。政策は経済、環境、倫理、社会との関連性を全て検討した上で決定し、また国際的に一貫性がなければなりません。
植物や動物の特許に代わる優れた方法もあるでしょう。1961年に植物の新品種の保護に関する国際条約 (UPOV 条約) は国際的な「植物品種の権利」を設定し、市場経済国全体の種子市場の70%を占める19カ国が1989年までに加盟しています(Lesser 1991)。品種には安定性、同質性、新奇性、特殊性が要求されます。品種は一般に流通されなくてはならず、農家が収穫した種子に関する使用量の支払を免除されるように、研究者にも除外項目があります。
しかし植物育成家がスタート台として使う作物の品種を、何千年にもわたって作りだしてきた農家への報酬はまだ何もありません。商業的バイオテクノロジーの開発に伴って小規模農家が農場を失って行くのは皮肉なことです。1983年の国連食糧農業機構の会議で、156カ国の代表は「植物資源は人類共通の遺産であり、いかなる制限もなく尊重されなければならない」とその重要性を認める決議をしました。以来、遺伝物質を世界中に提供する遺伝子銀行の国際ネットワークの設立が始まっています。遺伝子銀行はまた、環境破壊により絶滅に瀕している種の遺伝物質も保存します。
ここでは生物を特許の対象とする問題を調べる試みとして、ニュージーランドで用いられた質問を修正して使用しました(科学者、大学教職員への質問では問17、一般市民へのインタビューでは問18)。また人間の遺伝物質を特許の対象とする問題についての質問を付け加えました。質問は以下の通りです:
問17
問17a. 何か新しい発明や創造をした人は、特許や著作権によって経済的利益にあずかる ことができます。特許や著作権というものを聞いたことがありますか。 1 はい 2 いいえ
問17b. 聞いたことがある場合:つぎのうちどれについて特許や著作権が与えられるべきだと思いますか。 1 賛成 2 反対 3 わからない
新商品などの発明 本、その他の情報 新しい植物品種 新しい動物品種 動植物から抽出された遺伝物質 人間から抽出された遺伝物質
この項ではいろいろな対象について特許を与えるべきかどうかについて質問をしました。サンプル人口の各グループの結果は表5-1にあります。全てのグループで90〜94%の人が消費材における一般的な発明に特許を与えることには賛成でした。それ以外の項目については意見は分れていましたが、賛成の多い相対順位は日本、ニュージーランドとも全てのグループで同じでした。全ての項目について特許を与えることに反対すると回答した割合がニュージランドの方が多くなっていますが、これは日本では「わからない」を選んだ人が大勢いたためです。
発明一般に比べ、新しい品種の動植物の特許に対する許容度は低くなっています。ニュージーランドでは一般市民の51%が「動植物から抽出された遺伝物質」への特許に賛成しているに過ぎません。日本ではさらに低く、38%でした。「人間から抽出された遺伝物質」に対してはさらに低く、日本では34%が反対、わずか29%が賛成しているだけです。全てのグループにおいて「人間から抽出された遺伝物質」の特許に対しては賛成よりも反対の方が上回りました。
遺伝子工学は国家の利益になると考える人々と、日本の科学者では、遺伝物質の特許に対する許容度が高くなっています。科学者のうち企業に働く科学者は、大学と政府機関の科学者に比べ、本以外の全ての項目に対する特許に著しく高い許容度を示しています。日本とニュージーランドの比較結果は表5-3、そして図5-2, 5-3に示す通りです。
表5-2:政府機関で働く科学者と企業で働く科学者の特許に対する態度 ? = わからない
図5-2生物や遺伝物質の特許に対する許容度
図5-3:日本とニュージーランドの各層における生物や遺伝物質の特許の許容度
(表5-2参照) ニュージーランドの数値は Couchman & Fink-Jensen (1990) による。
表5-3:特許に対する一般市民の意見
ニュージーランドで行われた調 査(Couchman & Fink-Jensen 1990)の結果との比較。
本調査の結果からも明らかなように、人間から抽出した遺伝物質の特許に人々は賛成ではないようです。しかしもっと国際的な調査を行う必要がありますし、例外措置を考慮する必要もあるでしょう。動物や、動植物から抽出した遺伝物質への特許にも強い反対があります。実際、いくつかの項目をまとめた特許には産業界からの反対がありますが、十分に情報を与えられた一般市民が決定すべきです。
全ての特許を除外するのが適切でないとしたら、すぐに役に立つ遺伝子やタンパク質だけが特許を与えられるよう選定基準を再検討する方法もあります。これなら産業界の支持も得られるでしょう。プロセスの中でも人体、動物、環境への効果が証明済みのタンパク質の製造プロセス等いくつかには特許を与えても良いでしょう。いくつかの物質の全体的特許に対する一般市民の反対を認識しながら、こうすることによって研究の促進を図ることができるのです。本調査では人間遺伝物質を対象とした特許のどの側面に賛成または反対があるのかまでは調べませんでした。一般市民は目的が何であれ、人間の遺伝物質への特許には反対なのかも知れません。それでもなお、この問題の検討を重ね、国際的にも世論を特許政策に反映しなければなりません。
動植物の品種への特許に代わる方法としては、動植物の育種の権利制度(農家、研究者を除く)があります。許可を与えられた育種業者は良質種を限られた期間だけ販売する資格を有しますが、妥当で支払可能な価格で誰でも入手できるようにしない場合、この流通権を失います。
私達は人間の生活、社会、そして現在の経済システムの目的を考え直す必要があります。環境とか安定した国際貿易関係という観点からは、現在の一国のあるいは多国籍バイオテクノロジー産業を動かしている目的意識を維持し続けることはできないでしょう。これがバイオテクノロジーの真の問題です。世界経済と貿易に対してバイオテクノロジーのもたらす影響は、消費者、環境への安全性という観点からの遺伝子工学の規制に比べより大きな問題です。代替製品によって収入源を絶たれた何百万もの人々の生活に既に影響を与えているこれらの商業的問題に、一般市民は注意をむけなければなりません。私達は国家的優先事項といった近視眼的視野に捕われずに、人類全体に利益となるような研究目標を選ぶ必要があります。
次の章
To Eubios book list
To Eubios Ethics Institute home page (English)
To ユウバイオス倫理研究会 home page (日本語)