pp. 124-147 in 遺伝子工学の日本における受けとめ方とその国際比較,ダリル・メイサー (Eubios Ethics Institute, 1992).
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全ての人が科学技術を活用しています。日本では、他の国以上に科学技術を生活の質の向上をもたらす万能薬と考えているようです。大抵の人は科学技術を利用していますが、その詳細を理解してはいません。科学者でさえ専門分野が非常に狭まり、自分の研究領域外はわからないかもしれません。若者の30%は高等教育を受けていますし、高校で学ぶ知識はかなり高度のものです。したがって一般市民の科学認識は高レベルにあるはずで、本調査の結果とも一致しています(第3章参照)。しかし知識量にもかかわらず、科学政策に関する問題に一般市民がほとんど携わっていないのが日本の社会の特徴です。一般市民主導によって重要な政策の変更がなされたケースはなく、その点、北米の患者の権利運動、ヨーロッパのグリーン運動(環境運動)とは対象的です。グリーン運動は環境を心配する普通の人々の共同ネットワークから始まり、ヨーロッパ以外の工業国にも育っています。しかし日本には一般市民が環境保護に関する意見を述べる統一された討論の場はありません。一般市民抗議運動と同様、環境保護グループは通常小規模で分散しています。統一された公開討論の場を形成できないのは日本の社会慣習によるのかも知れませんし、市民グループを小さくばらばらの状態に保つことは社会権力を握る者にとって有利でもあります。日本の社会システムは、構造的父権主義と呼ばれ、一般市民は政策に直接影響を持たず、決定を下す者が彼らの「面倒を見て」いるのです。
しかし政策を決定するのは科学者というわけではなく、むしろ官僚、産業界のリーダーと、政府が一体となって国を治める形で発展してきました。 人々はその方面の「専門家」でない限り発言は控え、人々がどんなことにも意見を述べる西洋の民主主義とは際だった違いを見せています。科学に関しては、科学者はその科学知識によって有利な立場にあるのですから、テクノロジーを用いれば何ができるか、また他にどんな方法があるか他の人よりもよくわかっているはずです。しかし日本では産業界に働く科学者の割合がとても多く、雇用者としての科学者が代替テクノロジーに関して発言することにも影響するかもしれないという問題もあります。科学者にとって生涯の忠誠を誓った会社に背くような発言をするのは難しいでしょう。日本のシステムで他の大国と共通する特徴は、産業界と共に研究を支援する政府省庁間のパワープレーです。
日本は人口あたりの研究者の割合が0.7%と世界最高です(OECD 1991)。日本で1985年に行なわれた世論調査(N=7439, 総理府広報室 1986)では、人々が科学者・技術者についてどう思うかを5つの答えの中から選ぶ形で質問しました。科学者・技術者とは「科学技術を通して人類の幸福に貢献しようと研究している人」が39%、「科学技術の成果が社会にどういう影響を与えるかについても考えている人」が18%、「専門知識は豊富だが、社会にどういう影響を与えるかには関心がない人」が14%、「真理の探求だけを目指しており、人類の幸福への貢献については関心のない人」が5%、「わからない」が25%でした。一般市民は科学者におおむね良い印象を持っているようですが、このての質問は回答の選択が限られており、例えば企業の科学者の間では一般的と思われるものとして経済的理由から研究を行なうといった動機も考えられます。1990年の世論調査(N=2239, 総理府広報室 1990 )では、「科学者は人々の役に立ちたいというよりは、むしろ自分達の好奇心を満たすために研究している」とした人32%に対し、「そうは思わない」、つまり人類のために役立つことも考えているとしたのは49%でした。「科学者や技術者の話を聞いてみたいと思う」は47%、一方「聞いてみたいと思わない」は50%でした。「科学技術に関する知識はわかりやすく、説明されれば大抵の人は理解できると思う」人は57%、「そうは思わない」が32%、1987年では「そう思う」が49%、「そう思わない」が39%でした。多くの人が科学は理解できると考える傾向にあるようです。しかし58%の人が「科学技術の進歩が速すぎるため、自分がそれについて行けない不安」を持ち、「不安ではない」は36%、また「科学技術がどんどん細分化し、わからなくなっていく不安」を持つ人は65%、「不安ではない」は25%でした。これらの数字は1987年と1990年でほぼ同じでした。「科学者は一般に社会的地位が高いと思う」は58%で、「そうは思わない」は28%でした。
これまで見てきたように、バイオテクノロジーは様々な意味合いを持っています。しばしば科学者は、科学研究は倫理的に中立であり、倫理的意味を持つ活動はテクノロジーであると主張しています。倫理的に中立なのは科学知識であって、それに伴う活動は他の活動同様、中立ではありません。人間の活動は何であれ選択を伴うわけで、例えばどの分野を研究するかという選択をするからには科学活動は倫理的に中立ではありません。科学者は政府の介入を避けるために科学は中立だと主張したがるのです(Proctor 1991)。また科学者は、学問の自由を主張し、これは日本国憲法(第23条)でも謳われていますが、しかし絶対的なものではありません。日本でも人体実験の世界的倫理ガイドライン、動物実験の全国規制(この問題は日本ではあまり議論されませんが)、環境規制といった制限を道徳上受け入れています。歴史からもわかるように、基礎科学研究の自由は社会に多くの利益をもたらしました。もし社会がさらに利益を欲するなら、上記の制限を伴いつつも自由は保証されなければなりません。科学、バイオテクノロジーの応用は特に人間の健康や環境保護に関して多くの規制を受けます。また一般道徳で許される範囲という限界もあります。一般道徳の限界というのは、例えばいくつかの国では臓器の売買や商業的な生殖に関するサービスは禁止されているというようなことで、こういったことは生命倫理の基本原則(第1章参照)や、世界の代表的宗教に共通する宗教観をもとに議論されるものでしょう。
テクノロジーの応用やいろいろな規制を決定する上で重要なことは、それが多くの学問的領域にまたがっている点です。テクノロジーの使用に関する決定には、様々な方法のリスクと利益のバランスを取ることが必要です。意思決定のプロセスは人生を通して学びますが、どこの国でも正式の教育の場ではほとんど教えてはいません。人は誰でも決定を下しますが、いつも良いものとは限らないのです。社会はこのような多くの学問的領域にまたがる決定を特定のグループに任せてはいけません。専門があまりにも細分化し自分の領域外のことはわからなくなっている現代社会では、単一のグループは決定を下すことに適さないからです。また、グループによってはリスクの許容度や社会の将来のゴールに対して違った視点を持っているかもしれません。意思決定に参加するのは民主主義国家に生きるすべての人の責任です。そのためには私達はみな、学校とメディアを通して教育を受ける必要があります。
本調査のサンプル人口それぞれの回答は、全体像の一部を見せてくれます。医療遺伝学の応用に関する質問のように回答に驚くほど差のないものもありましたし、また回答に大きな差が出たものもありました。今回の調査では本書全体に渡って述べるいろいろな一般的質問への回答の比較を行なっただけでなく、アンケートには科学者と一般市民の関係に直接関わるものもいくつか入れ、その回答の検討も試みました。
科学技術に関する個々の質問
ここでもニュージランドで行なわれたCouchman & Fink-Jensen (1990)による調査での設問を主とした一連の質問を用いました(問16)。問16 a〜g は全ての対象グループに同じものを用いましたが、さらにグループ別に異なる質問も加えました(問16 h〜j )。学術関係者と教師に対する問16j は一般市民への郵送アンケートでは問16hとしました。問16aでは日本の生活に科学がもたらすと思われる利益について質問しましたが、このような質問は他の国での調査ではよく用いられます。これは第3章で議論しました。問16b,cはアメリカのOTA(1987)の調査にならって、政府、会社の公式の発言の信憑性を調べました。問16dは科学に伴う危険性を問いました。問16eは外国の調査ではよく行なわれる、政府の科学研究への援助に関する質問です。問16fでは遺伝子操作を施した生物のある特殊な応用について聞きました(第4章参照)。問16gは新しい質問で、通常日本で行なわれる意思決定の閉ざされた性格を考察します。問16h,i は科学に関する一般の関心についてで、16jと同様ニュージーランドでも用いられたため国際的な比較が可能です。
問16. 次の発言についてどう思いますか。
1 絶対反対(強く否定) 2 反対(否定) 3 どちらでもない
4 賛成(肯定) 5 大いに賛成(強く肯定)
a. 科学は日本の生活水準の向上に重要な貢献をしている。
b. もし国立機関で働く科学者がある研究計画の安全性について発言したならば、私はそれを信じる。
c. 私は新製品の安全性についてはそのメーカーの言うことを信じる。
d. 日本における科学者の活動は公衆の安全を守るためにもっと厳しく規制されるべきである。 e. 日本の政府はもっと科学研究を援助すべきである。
f. 遺伝子操作で作られた動植物は日本の農業における化学農薬の 使用量を減ずるのに役立つ。
g. 日本の科学技術行政に関する決定は公の場で行なわれるべきである。
h. 日本の科学者は科学の普及をほとんど他の人達にまかせている。
i. 一般大衆の科学技術に対する理解と関心の程度は一般に大変低い。
j. 現代の問題の討議に参加できるように、学生は科学技術に関連する社会的問題について十分な知識を持つべきである。
問16bでは政府機関で働く科学者による製品の安全性についての発言を信じるかどうか質問しました。結果を表8-1に示します。一般市民の35%が上記の質問の文章内容に肯定的で、21%が否定的だと答えました。44%はわからないでした。問16cでは製品の安全性についての企業の発言の信憑性について質問しました。このような発言に対しての信頼度は低く、一般市民の17%がそのような発言を信用する、それよりは多い36%の人が信じない、約半数の46%が否定も肯定もしませんでした。
政府機関で働く科学者と企業による製品の安全性についての発言に関して、日本の一般市民の信頼度は、ニュージーランド(Couchman & Fink-Jensen 1990)のものに比べて低くなっています。ニュージーランドと日本の両国で一般市民の35〜36%が政府機関で働く科学者の安全発言を信じており、20〜21%が信じていませんでした(図8-1)。企業の発言を信じるという人はニュージーランドの26%に対し、日本では17%で、どちらの国も34〜36%は信じないとしています。両国の一般市民は特に企業が行なう安全発言に疑問を感じているようです。アメリカで様々なグループが行なう製品の安全性に関する発言を信じるか市民に尋ねたところ(OTA 1987)、企業は政府省庁に比べ信頼度が低く、最も信頼されていたのは大学の科学者でした。「企業の自社製品の安全発言を絶対に信じる」と答えたのはわずか6%、「信じない」は15%、「どちらかといえば信じない」は37%、「どちらかといえば信じる」は39%でした。質問が違うので簡単に比較はできませんが、アメリカの市民は日本やニュージーランドに比べ企業を信用しているようです。これを確かめることは面白いことです。なぜなら、よく人は日本人は欧米人ほど率直に物を言わないと思い、従って日本人は、権威に批判的ではないとしばしば結論付けるからです。本調査の結果とその他諸々の経験を考え合わすと、どうやら日本人は少なくとも西洋と同じ位心の底では権威に不信を持っているが、ただ単におおっぴらに表さないだけのようです。
科学者はどちらの発言にもさらに懐疑的で、29%が政府機関の科学者、わずか12%が企業の発言を信じるとしています。しかし、企業の科学者はより信頼感が高く、36%が政府機関の科学者を信頼するといい、25%が企業の科学者を信頼すると答えている一方、政府機関の科学者は、22%が政府機関の科学者を信頼し、たったの5%が企業の科学者を信頼すると答えています。企業、政府機関、大学それぞれに属する科学者のいくつかの質問に対する回答の比較は表8-2に示してあります。企業に働く科学者は遺伝子操作(問7b)と遺伝子操作生物から作られた食品の消費(問8b)に対し政府機関や大学の科学者程懸念を表していません。従って企業の科学者よりは政府機関や大学の科学者の考えの方が一般市民の声を代表していると結論づけることができるかも知れません。10種類の専門かのうち問8bでは生物学者が、問7bでは生命工学者が最も懸念を表しませんでした。
ニュージーランドの科学者は日本の政府および大学で働く科学者と非常に似通った意見を持ち、両タイプの科学者の安全発言に関し企業で働く日本の科学者よりも懐疑的です。調査を受けたニュージーランドの科学者の20%が企業で働いていました。日本の高校の生物の教師は政府機関の科学者と同様、企業の発言に対して非常に懐疑的で、48%が否定的、7%が肯定的でした。教師の23%は政府機関の科学者には肯定的で、26%が否定的、わからないとした人も多数いました。ニュージーランドの高校の生物の教師は日本の教師と同様の回答を寄せましたが、企業の安全発言にはより懐疑的です。ニュージーランドでは60%が企業の発言を信じないのに対し、日本は48%でした。どちらの国でも教師のサンプルが最も批判的でした。
イギリスの調査(Kenward 1989)では、1985年と1989年の2回にわたって一般市民にいろいろな組織や制度を信用するか尋ねました。全体的には1985年に比べ1989年はやや信頼感が減っており、科学界に大きな信頼をよせていると答えた人が20%なのに対し、司法制度は18%、大企業12%、政府11%、テレビ13%、報道機関(新聞)は5%でした。しかし62%の人が医療機関を信頼しており、その調査の中では最高でした。このタイプの質問は国際的に比較してみるとおもしろいでしょう。
1989年の北京(中国)の調査では「科学者」は最も位の高い職業とされていて、医者や技師よりも上で、政府官僚や報道関係者の約2倍も地位が高いとされています。でも職業の選択では、医者の方が科学者よりも上でした。科学や技術に関する社会問題は誰に責任があると思うかという問いに対しては、70%は政府の意思決定をする人、6%は科学者、4%は技術者と答えています。科学や技術によってもたらされた社会問題を解決できるのは誰かという質問に対しては93%は科学者、57%は政府の意思決定をする人、41%は実業界の意思決定者と答えています。科学者にはどこでも良いイメージがあるものでしょうが、科学者の発言には(少なくとも工業国においては)人々がかなりの懐疑心を持っていることは明らかです。実業的利害が絡む場合は尚更で、バイオテクノロジー関連の会社と関係している生物学者はその中立性が疑われることになります。そのため、アメリカ政府のいくつかの調査委員会からはバイオテクノロジー関連会社に利害関係(株式を含めて)のある科学者は除外されることになっています(Anderson 1992c)。
人々が科学者、とりわけ企業の安全発言を信じられないのは残念なことです。安全発言への信頼度を増すような方策を講ずるべきでしょう。例えば、一般市民を含む独立グループによる安全テストの結果の査察、公表が挙げられます。第6章で取り上げたように、遺伝子操作を施した食品の消費で主に心配されることは、情報の欠如なのです(表6-3)。国際科学ジャーナル等に発表して、当事者以外の人がデータを科学的に厳しくチェックできるようにするなどの方法で一般に提供すれば、一般市民の信頼は高まるでしょう。日経のビジネスマンを対象とした調査(1983)で、バイオテクノロジーの情報は公開すべきか質問したところ、「すべて公開すべき」29%、「なるべく公開すべき」は52%、「それほど公開する必要はない」は7%だけでした。理由は複数の答えから選んでもらいました。「バイオテクノロジーは生活・生命にかかわるものだから監視するためにも公開すべき」が68%、「技術革新がはげしいから、知的関心を充足するためにも公開すべき」が12%、「公開するといたずらに不安をかきたてる恐れがあり、公開しなくてもよい」が11%ありました。科学技術と遺伝子工学について回る不信感の度合いから見ても、安全データを公の場で調査、発表すれば多くの人の懸念が和らぐことは明らかです。
長期的にはもちろん、安全発言に信用がおければ一般市民はなおさら信頼感を増すでしょう!しかし本調査の結果にも良い面はあります。人々は製品の安全性について自分で考え、他人、特に公平な評価をできないグループの意見を当てにしていないということです。
表 8-2: 企業の科学者は生産物の安全性に関し政府機関や大学の科学者よりも低い懸念を表示
図8-1:日本とニュージーランドにおける科学者に対する意識の比較
ニュージーランドの数値はCouchman & Fink-Jensen (1990)の結果
問16dでは日本の科学者の活動は公衆の安全の保護のため、もっと厳しく規制されるべきかどうかを質問しました。結果を表8-3に示します。一般市民の51%、教師の49%、筑波大学教職員の43%が賛成の一方、科学者と学生はわずか31%が賛成しただけでした。反対は、科学者42%、筑波大学教職員20%、教師18%、一般市民17%でした。人々が科学者の活動に何らかの危険を感じ、もっと厳しく規制されるべきだと考えていることを示しています。科学者はその1/3が規制を支持しているものの、大方は自分達の活動を規制されることには反対です。ニュージーランドの科学者も今以上の活動の規制には反対しており、42%が反対、23%がより強い規制に賛成となっています(図8-1)。逆に一般市民では賛成がさらに多くなっています(賛成67%、反対11%)。これはどこかその地域で事故があったためというよりは、むしろニュージーランドでは一般市民が日本に比べ率直に意見を言うためかも知れません。しかし、問16bと問16cに見られるように、日本の一般市民はニュージーランドに比べて科学者による安全性に関する発言をより疑っています。これは、日本では科学者に対してだけでなく、規制システム自体にも信頼がないからかもしれません。これは興味ある問題です。
この質問は特定の科学分野に言及したものではありませんが、その前の質問(問7-15)から、生物学者を想定したかもしれません。1987年の日本の世論調査では、新しい形の生命の創造の禁止を支持したのは67%で、アメリカの42%(Joyce 1988)と対比されます。また遺伝子工学の規制は緩すぎると考える人が42%、厳しすぎるが10%、適切が27%でした。科学雑誌ニュートンの読者を対象とした1989年の調査では、安全性に関する限り半数がバイオテクノロジー研究者を信頼していません。77%の人が「バイオテクノロジーの進歩に何らかの不安を感じたことがある」と答えています。「バイオテクノロジーの実験・研究について研究機関や研究者はつごうの悪い情報を場合によっては隠すこともある」と考えている人は87%、「そう思わない」人は3%でした!このサンプルは一般市民ではなく、科学雑誌の読者という選ばれたサンプルなのです。1988年の時点で、イギリスの一般市民の41%は遺伝子工学の安全規制に関し、あまり、もしくは全く信じておらす、一方信じている人は40%でした(RSGB 1988)。全EC諸国をカバーした1991年のヨーロッパでの大規模な調査(N=12800)では、政府は遺伝子工学のある一連の応用を規制すべきだと答えた人は90%にのぼりました。しかし「バイオテクノロジーに関する真実をすべて提供してくれる」のに信用がおけるのは誰かを選ぶ質問では、消費者グループが27%、環境グループ32%、大学17%、政府7%、産業界はたったの1.3%でした(MacKenzie 1991)。日本の本調査ではバイオテクノロジー規制に関するもっと具体的な質問を行ないました(問20)。
問16eの科学がもっと公的援助を受けるべきかという質問では、科学者の方が肯定的な回答でした。一般市民と筑波大学教職員と学生の78〜80%が賛成し、教師と科学者ではさらに高くなっています(表 8-3)。筑波大学教職員は一般市民と同程度に好意的でした。問16eでの賛成表には科学への関心度(問1)および科学進歩に関する認識度(問5a)との相関が見られます。ニュージーランドでの結果も同様でしたが、日本の方がわずかながら支持が高くなっています(図8-2)。科学研究に対する不安にもかかわらず、政府援助の増加は幅広い支持を得ています。これは研究の各分野で利益が認められるからでしょう。
科学は分野によって人々の意識への影響が明らかに違います。1990年1月の日本の世論調査(総理府広報室 1990c)では、それぞれの研究分野には産業界、公的研究機関、大学一般の中でどの研究機関が相応しいかを質問しました。新素材(超伝導、セラミック)の開発は産業界でしたが、バイオテクノロジー、代替エネルギー、フロンガスに変わるもの、健康など、その他の分野では公的研究機関が最も相応しいとみなされました。健康に関する研究では大学が産業界に比べ相応しいとされましたが、それ以外の研究では産業界の方が大学より一般にやや適していると考えられています。しかし日本の公立大学の中にもすばらしい研究で知られるところがあり、回答者はこれらの大学を公的機関に含めたのかも知れません。どの分野も研究は必要ないと答えた人は1%弱で、人々が科学研究に肯定的イメージを持っていることを示して興味深いでしょう。
1989年のイギリスの調査では、政府援助に関する一般市民の意識を各科学技術分野で比較しました(Kenward 1989)。もっと資金を使って欲しい分野は、汚染の減少、科学研究、健康でした。宇宙探索と兵器研究では、人々は資金カットを強く支持し、政府は資金を使い過ぎているとしています。科学援助一般に関しては、政府の資金は多すぎる、少なすぎる、ちょうど良いのいずれと思うかを質問し、これはオーストラリアでも調べられています(Anderson 1989)。科学援助の資金は「少なすぎる」は、イギリス51%、オーストラリア61%、「多すぎる」は、イギリス10%、オーストラリア9%、「ちょうど良い」はそれぞれ28%と23%でした。質問は異なっていますが、日本とニュージーランドの方が一般市民の科学援助への支持が高い用に思われます。
問16gは日本の特殊な問題――科学に関する決定は公の協議をほとんど、あるいは全く受けていない――について聞いたものです。一般市民の78%が日本の科学技術行政に関する決定は一般市民から隠蔽すべきではないという意見に賛成しています(表8-3)。反対はわずか4%でした。科学者を含む全てのグループがこの意見に強く賛成でした。この問題はバイオテクノロジーとの関連で論ずることにします。
1985年日本の世論調査(N=7439, 総理府広報室 1986a )ではライフサイエンスについて一般の人がどこまで知るべきかという質問がなされました。14%の人がライフサイエンスの内容(研究の現状、研究者の目標)や社会への影響などについて詳しく知っているべきだ」、38%が「研究の内容はある程度知ったうえで、社会への影響が分かればよい」、5%が「研究の内容が大体分かっていればよく、社会への影響は分からなくてよい」、16%が「研究の内容は分からなくても、社会への影響が分かればよい」、そしてわずか10%の人が「一般の人が知っていても仕方がない」と答え、「分からない」は17%でした。別の質問ではライフサイエンスの研究のあり方や社会における利用の是非について6つの例から選ぶ形で質問していますが、43%の人が「研究も社会における利用も良いが、その利用に当たっては国民の理解が必要だ」、22%が「研究の段階においても国民の理解が必要だ」、10%が「研究も社会における利用もともに自由でよい」、4%が「研究は良いが、社会で実際に利用してはいけない」、1%が「研究も社会における利用もともに禁止すべきだ」と答え、21%が「分からない」でした。
図 8-2:日本とニュージーランドにおける 科学への政府援助支持の比較
問20は1991年のヨーロッパ世論調査で使用された質問と同様のものです。当時環境庁が遺伝子工学をコントロールする規則を検討していたところから、タイムリーな質問といえます。
問20. バイオテクノロジーの研究の規制についてどう思いますか。
1 政府が基準と実施方法を決める。 2 産業界と政府が共同で基準と実施方法を決める。
3 産業界が基準を決める。 4 個々の研究者あるいは会社にまかせる。 5 その他( )
問20では人々がバイオテクノロジー研究はどのように規制されるべきだと考えているかを調べました。一般市民はその多く(62%)が基準の設定に産業界と政府の間の協力が必要と考えていて、同様の傾向ながら高校教師(47%)や科学者(54%)を上回っています(表 8-4)。ヨーロッパでの調査(英、独、仏、伊、N=3166)では、49%が政府と産業界による共同の規制を支持、38%が政府によって厳しく規制されるべきと答えています(Dixon 1991a)。回答は国によってまちまちで、共同規制の意見はフランスで最も強いのに対し、ドイツでは49%が政府による強い規制を支持、たった32%が共同規制支持でした。日本ではほとんどの決定に産業界と政府が関わっているためヨーロッパよりもこのオプションに好意的と思われます。それでもなお、高い割合で産業界の決定に関わりなく、政府の基準が適用されるべきだと考えています。
学術関係者の回答の中で、問20に関しては生物科学を専門とする人(カテゴリー1と2、表2-4)と他の学術関係者の間に大きな差は見られませんでした。しかし企業に働く科学者は、政府や大学に働く科学者と比べ著しい違いが見られました。企業の科学者は81%が「産業界と政府の共同規制」、「政府のみ」はわずか8%で、8%はその他の回答をしました。政府の科学者は39%が「産業界と政府の共同規制」、35%が「政府のみ」、18%がその他の回答をしました。大学の科学者は46%が「産業界と政府の共同規制」、32%が「政府のみ」、17%はその他の回答をしました。
これに関しては 国際基準が作られることが望ましく、実際、問20で何人かの回答者が、日本の規制手続きは信用できないので国際基準を用いるべきだと答えています。規制手続きが国際的な傾向に従えば一般市民の信頼度も増すでしょうし科学者の多くも支持を寄せるはずです。日本で最初の組換えDNA実験の規制はアメリカのNIH(国立衛生研究所)規制のコピーでしたが、翻訳するのと全ての関係当局や委員会の了承を得るのに数年かかったため、承認されたのはNIHの規則が変更される直前でした。多くの実験の結果、組換え実験による実害はほとんどないことがわかってきたので、最近、アメリカ(PCC 1991)とヨーロッパ(EP 1990)のガイドラインは大変流動的で、全般的に緩やかに、非官僚的になりつつあります。この背景には、官僚主義の悪弊のために、いろいろな規制に基づく承認を得るのに時間がかかって、バイオテクノロジー市場においてその国の国際競争力を失わせる結果になるのではないかとの懸念もありました。しかしドイツは例外で、危険性の最も少ないような実験に関してもたくさんの書類をそろえなければならないような非常に官僚的なシステムを導入しています(GT 1990, Kahn 1992)。
遺伝子操作生物の野外放出
1991年12月に環境庁中央公害対策審議会企画部会は、「遺伝子操作生物の開放系利用に係わる環境保全の基本的考え方について」というレポート(環境庁 1991)を発表しましたが、幸いなことにこのアンケートは既に戻ってきていたので、本調査の結果には影響を与えていません。そのレポートでは、遺伝子操作実験規制の特別法を導入しない決定がなされていますが、意見は割れています。決定は製品ベースの規制へと動いている国際的な傾向に基づいたものです。つまり製品はその生産手段よりもその製品自体の環境や食品への安全性を考慮して検討されるということです。その考え方は、他の方法でも遺伝子工学と同じように環境に悪い影響を与える品種ができる可能性があるのに遺伝子工学以外の方法で作られた品種に対する同様な規制がない一方で、遺伝子工学によって生まれた新しい植物品種だけを厳しく規制すべきではないというものなのです。
1991年2月に環境庁によって行なわれた調査(N=1363, 環境庁 1992)は、1992年3月になってようやくその結果が公表されましたが、その中で、バイオテクノロジーの利用に対する規制についての質問が行なわれています。第4章でも述べたように、質問は少々誘導的な感があり、アンケートに付けられたバイオテクノロジーについての数ページの説明文を参考にして回答する形式になっていますが、それでもこのトピックスに対する日本人の考え方を幾らかは知ることができます。そのうち、「バイオテクノロジーの利用に対して規制を厳しくすると、その利用の発展が妨げられるという意見があります。このことについてあなたはどう思いますか。次の中から一つ選んで該当する番号に○印をつけてください。」という質問に対して、49%の人が「たとえバイオテクノロジーが私たちの生活を豊かにするものであっても、その利用により人の健康や生態系に影響があってはならないため、バイオテクノロジーの発展を多少阻害することになっても環境保全を優先させ、安全確保のための厳しい規制を行なう必要がある。」、29%が「バイオテクノロジーは私たちの生活を豊かにするものであるが、環境保全も必要であるので、バイオテクノロジーの発展を阻害しないことに配慮して規制を行なう必要がある。」、19%が「バイオテクノロジーの利用と環境保全を両立させて行くため、研究者や事業者のモラルに基づく自主管理により安全性を確保しながら、利用を進めていくことが適当である。」、0.6%が「バイオテクノロジーは私たちの生活を豊かにするものであり、環境影響は心配するに及ばないと考えられるので、規制すべきではない。」、2.4%が「わからない。」を選び、0.1%がその他の考えを挙げています。一般市民が環境に高い価値を置いていることには勇気づけられますが、ここで用いられた質問では環境は厳しく規制することによってのみ保護することができるような印象を与えます。しかし必ずしもそうではありません。回答者のほとんどはあらかじめ設定された回答に従ってしまったようですが、このことは本調査問20で12%の人がバイオテクノロジーを規制する別の方法を挙げたこととは対象的で、環境庁の調査ではたった0.1%(1人?)が独自の理由を挙げたに過ぎません。4.6.節でも論じたように、本調査(問19)と環境庁の調査の結果から、大多数の人は遺伝子操作生物の野外放出を支持し、環境の安全を確保して、市民の信頼を得られるよう何らかのガイドラインを求めているということがわかります。
環境庁アンケートの最後の質問は「今後、バイオテクノロジーを社会に円滑に受け入れられるようにしていくためには、何が必要だと思いますか。」(複数選択可)というものでした。54%の人が「バイオテクノロジーを様々な分野で活用していくため、さらに研究開発を推進し、安全性を確保していく必要がある。」、56%が「バイオテクノロジーの安全性について一般市民はよくわからないので、研究者や事業者は、わかりやすく説明していく必要がある。」、36%が「バイオテクノロジーを利用するに当たって、安全性確保のための行政的な措置をさらに強化する必要がある。」、59%が「国などの行政側がバイオテクノロジーに関する知識や情報の提供に努める必要がある。」、1.6%が「わからない。」を選び、2.6%がその他の回答をしています。本調査の問20では、大多数の人は産業界と政府が共同でバイオテクノロジーを規制すべきと答え、さらにもっと多くの人が関与すべきだと答えた人もいました。 一般公開への強い要求(問16g)と環境庁アンケートの結果に応えるためにもバイオテクノロジーの規制に関する決定は、一般市民の情報公開の要求を満たすため公開しなければならないのは明らかでしょう。
DNA組換え実験に適用される規制のガイドラインは政府各省庁によって異なります(バイオインダストリー協会 1991)。委員会はこうした決定を調整する唯一の手段です。委員会が法に定められたものであれ何であれ、問題は誰が委員会のメンバーか、そしてそういった委員会がいくつあるのかということです。日本のように大きな国では、各省庁にそれぞれ委員会を作るに充分な学術的人的資源がありますが、誰も満足な経験を持っているとは言えません。これまでに遺伝子操作生物(タバコモザイクウイルス抵抗性トマト)の環境への放出は一件だけで、温室内での遺伝子組換え植物の育成は数件しか許可されていないからです。日本ではDNA組換え体を含んだ微生物の大規模発酵や、細胞組織培養の申請が250件以上も出されていますが、通常委員会では、こういったことに関する特別な規制ではなく優良工業規範 (GILSP) に合えば良いとされています(古屋 1990)。今まで事故がなかったため、このような発酵に関し心配する向きはあまりありませんが、廃棄物は殺菌しなければなりません。実験のために生の野外放出の必要があるとか、病原性生物を用いるのでなければ安全性の心配は少ないのですが、これらは最初に研究者とは関係のない独立した委員会が査察すべきです。
委員会の現在のメンバーは主に科学者で、公立と私立の大学の科学者の他に企業で働く科学者が若干含まれています。どの委員会も一般市民の参加を許しておらず、討論は一般に公開されていません。これはガイドラインであって、一般市民の参加は必要ないと考えているのです。研究の許可申請は許可・不許可の決定がなされた段階で始めて公になるため、一般市民が異論を申し立てる余地はありません。これはバイオテクノロジーに関する決定に限らず、日本の委員会全般の特徴で、ニュージーランドの状況とは対象的です。ニュージーランドではガイドラインしかなくても、そのガイドラインで実験の概要を日刊紙に公表するよう規定しているので、一般市民は意見を申し立てることができます(Macer et al. 1991)。イギリス(HMG 1990, HSE 1991)とアメリカでは、遺伝子操作生物の実験の申請は公表を法で定めているため、一般市民が意見を述べることができます。規則手続きに対する日本の一般市民の信頼を増すには、一般市民の意見申し立てを認め、決定に至る討論の詳細を明らかにするのが簡単でしょう。
日本ではバイオテクノロジーの宣伝に莫大なお金がつぎ込まれていますが、それでも多くの人は科学の規制に問題があり遺伝子操作は危険だと考えています。宣伝には科学技術庁(STA)援助によるバイオテクノロジーのミーティング、このテクノロジーが日本人にもたらす利益を強調したメディア広告等があります。一般にバイオテクノロジーに集中する傾向があり、バイオ洗剤はほとんどの家庭で使われ、バイオ化粧品も広く使われ身近なものになってきています。通産省(MITI)はバイオインダストリー協会(JBA)と協力して一般市民にも受け入れてもらえるよう努めていますが、それでもなお問5と問7に見られるように市民の不安には留意すべきでしょう。問16gを見れば、こうした意思決定は公開すべきなのです。一般の意見申し立てを認め、意思決定をオープンにするのが、手続きに対する信頼を増す明らかな道のようです。安全テストの結果を公表せずに製品の安全性が決定されることに人々が冷ややかなように(第6章、8.2.節を参照)、一般市民には閉ざされた意思決定プロセスは冷ややかな懐疑心をそそるだけです。商業上の秘密の保持が必要ならば、どの国にも保護は認められているのですから、産業界は当局に申し立てることによって秘密情報を保護してもらえばよいのです。
問20のコメントの中でその他の規制の方法として、独立した第三者グループ――他の学術関係者、一般市民等――が意思決定に係わるべきだと考える人が多いようです。理想的には、委員会に科学者以外の人と一般市民のメンバーがいることが望ましいのですが、少なくとも一般市民の発言と、討論の公開の余地を残すべきです。しかし問20の結果では、バイオテクノロジーを規制する特別法を強く求める声はなく、政府と産業界が規制に何らかの役割を果たすことを考えているようです。研究者がそれに加わることを支持する人もわずかながらいました。産業界のみに決定を任せることははっきりと拒否しています。いくつかのコメントを以下に挙げます。(教=高校の生物の教師、学=学術関係者、それ以外は一般市民からのコメントです。)
全決定を監視するには、様々な学問領域にまたがった一個の独立委員会に一般参加の余地を残した形が理に適っています。問題なのは、政府省庁が1980年代を通してバイオテクノロジーの権力抗争に明け暮れていたことで(Brock 1989)、これは今後も続くと見られ、どの省庁も権限を譲る気がないことです。委員会は研究者から独立していなければならないと強く主張する人がいましたが、省庁からも独立していればこれも有利でしょう。研究者は承認一つにも嫌というほど官僚主義を経験しなければならす、この上さらに委員会を増やす案は支持しないかも知れません。一般市民と研究者の両方の支持を得る一つの方法は、既存の全委員会を合併した一つの委員会に置き換え、遺伝子操作生物放出の申請全てに独自に基準手続きを適用することです。いまのところ日本では遺伝子操作生物放出は一件だけですから、山のような申請に埋もれる心配はないでしょう。遺伝子操作生物放出の規則があるほとんどのヨーロッパ諸国では単一の委員会が申請を扱っており、日本以上の件数の申請を処理しています。いくつかの国では、一般放出を認められた遺伝子操作生物が既に市場で入手可能で、やがて日本でも取り上げられるでしょう。単一の委員会設立は、海外で製品の商業的利用が認められるに従い実験申請数が増加するのに備えるものです。新品種の輸入は農林水産省がコントロールしており、こうした申請の扱いには慣れているのですから、当然中央委員会のベースになります。しかし他の省庁――環境庁、文部省、科学技術庁、通産省――も遺伝子工学を使っての日本の新品種開発に大きく係わっているので、政治的にもその参加が重要でしょう。こうした意思決定には、産業界と独立した学術関係者が直接関係することに対しても幅広い支持があります。
法律で定められていなければする必要はないと言う態度が多くの分野でよく見られますが、1974年に遺伝子工学が始まって以来、科学者は自らの仕事の自発的なガイドラインを率先して設定していたのです。一定の安全実験が行なわれるまで、自発的に遺伝子工学研究の停止機関が設けられ、この時期の遺伝子工学は実験室に限られました。この結果科学者と一般市民の間に友好的な雰囲気が作り出されました。1984年にカナダで最初のトランスジェニック植物の野外実験が行なわれました。遺伝子操作生物の野外放出に関する議論が本格化したのはアメリカでイチゴの霜の被害をへらすために遺伝子操作を施したバクテリアの野外放出の申請が出された1980年半ば(一般的な背景に関してはOTA (1988b), HMG (1989), NAS (1989), Macer (1990)を参照)のことです。これが法定に持ち込まれ、1988年になってようやく遺伝子操作生物の野外放出の満足すべき方法が実用になり始めて、大量の野外実験が始まったのです。ヨーロッパでも賛否両論ですが、EC諸国では基準法が制定されています。しかし多くの国では制定は早くても1992年以降です(Shackley & Hodgson 1991)。
これらの国では一般市民の参加が法で定められていますが、科学的評価のプロセスの詳細は未だ開発中です。ニュージーランドでは、あまり議論は沸き起こっておらず、手続きは法制化の最中です(Macer et al. 1991)。科学者の活動はもっと規制されるべきだという発言に同意している(問16d)にもかかわらず、発言と言う形で一般参加が認められているからでしょう。日本では二つの遺伝子工学施設に対して地元の反対がありますが(第4章参照)、あまり論争は行なわれていません。遺伝子操作生物の放出が1件しか無いからです。大きな論争を避けることはできたかもしれませんが、その代わりに野外実験を行なわなければ、遺伝子工学を使っての新品種育成の開発は遅れるばかりでしょう。以上の例から、法により規制、協力で規制、対象となる実験を行なわないことで議論を避ける(!)という三つの基本的アプローチを見ることができます。最も望ましいのは科学者、一般市民、規制委員会間の協力の友好な関係です。いくつかの国では遺伝子操作生物の開発の間、科学者と委員会で相互連係プレーが行なわれ、これが科学者を援助する上で役に立つのです。遺伝子操作生物の農業用開発と野外実験の分野で日本は遅れをとっているのですから、少なくとも国際的な科学と規制上の経験から得るものがあるはずです。
悪い事故が起こると一般市民が実験の続行に反対する可能性があるため、科学者は注意を要することを理解しています。明らかにしておかなければならない法的ポイントは、事故の可能性がどれほど小さくても万が一起こった場合、損害の経済的責任は誰が負うのかという問題です。事前にこれを決めるのはそれほど難しくはないですが、手を打たなければ大々的な法定闘争になるかも知れません。商業的製品の場合、当然企業が全関係者に補償し、環境への罰金を支払うわけです。イギリスでは、ロイド保険会社がこうした事故の保険を用意しています。実験の条件の一つとして関係者が強制的に保険に入るべきでしょう。このような規制は遺伝子操作生物に限らず、新たに導入される生物全てに適用すべきです。
食品、医薬品の安全性
食品と医薬品の安全性に関する規制はもっと簡単で、厚生省が扱っています。第6章で述べたように、厚生省はDNA組変えによって製造された医薬品の許可手続きを1986年に公表しています。また1992年3月には「食品分野への応用に関する指針」を発表しています(厚生省 1992)。これらの指針は第6章で論じましたが、国際的な指針がどのように効を奏するかはまだわかりません。遺伝子工学を用いた新奇な部分に関してだけより周到な安全性テストが課されることになるでしょうが、これは当然のことでしょう。安全性テストの結果も全て公表すれば、人々の心配もいくらかは和らぐことでしょう。
初期の臨床試験で規制されるべきもう一つの分野は、人間の体細胞(生殖細胞に対して)を対象とする遺伝子療法です。クリアしなければならない規制段階の数は国によって多少違います。これに関して一番経験を積んでいるのはアメリカで、許可になったものだけでも16以上、不許可になったものを含めればそれ以上の遺伝子導入や遺伝子治療の実験許可申請が行なわれています。最近二重の手間を省くために、許可のために必要な委員会の数が減らされました(Gershon 1992)。現在ではRAC(組変え実験委員会)の承認も得なければなりませんが、特に遺伝子療法が実用化の段階に入り、そのいくつかに対しては既にその試験開始の許可が下りている現状では、最終的に許可を出す権限は実際上FDA(食品医療機構)にあります。FDAは「人間の体細胞治療および遺伝子療法において考えるべき諸点」を定めています(FDA1991)。イギリスでは遺伝子療法の試験を行なうことを勧めた政府の報告書が出た後で、1992年2月に委員会が設置されました。オーストラリア、カナダ、そしてヨーロッパの数か国でも遺伝子療法に関する報告がなされ、委員会が設置されています。何か規制制度を作る際には医学、科学の専門家が参加すべきですし、開かれた運営がなされなければなりません。日本の場合は厚生省がそれをつかさどることになるのでしょう。本調査の結果が示すように、そのような試験に対しては一般のコンセンサスが得られています。
表 8-4:バイオテクノロジーの規制
注:何人かの回答者は複数回答だったので総計は100%をやや超える。
一般の理解
問16hと問16i は特定のグループに関する質問で、二つは互いに関連しています。結果を表8-5に示します。科学者の30%、教師の28%、筑波大学教職員の26%が、科学者は科学の普及をほとんど他の人達にまかせっきりにしていると考えていました。これは科学者の69%と高校教師の60%というニュージーランドの結果に比べてとても低い数字です。さらに日本の教師の47%と科学者の40%が一般市民の科学に対する理解は一般に非常に低いと考えているのに対し、ニュージーランドでは86%の生物の教師がそう考えています(図8-3は英文のみ)。筑波大学教職員の39%がやはり同意しています。しかし日本の回答者の1/5は否定しており、日本の一般市民の科学に対する理解は悪くないと考えていることを示しています。
国際的に見ても日本の教育は世界でもトップクラスと思われています(Newsweek 1991)。ニュージーランドもまた、高い教育レベルを有しています。しかし両国の教師の多くは一般市民の科学に対する理解は乏しいと考えています。どちらの国も、教育の場を離れた一般市民の理解度を増す方策が明らかに必要です。学校教育に改善の余地は常にあり、日本の教育システムが要求する試験勉強中心の硬直化した方法には批判が出ています。意思決定や考える能力を養うためにはこのようなシステムは良いとは言えませんが、それでもそのようなシステムを維持しているのは、意思決定や思考の能力といった目標が全員にとって好ましいものではないからなのかも知れません。
遺伝子工学と教育課程
問16j(一般市民へのアンケートは問16h)では、学生が現代の討議に参加できるよう科学技術に関わる社会問題について十分な知識を持つべきかを質問しました。結果は表8-6にまとめてあります。筑波大学教職員の85%、一般市民の88%、科学者の89%、高校の生物の教師の93%がこの意見に賛成でした。これらの問題を教育課程に含めることを求めていることは明らかです。このことに関しては、教師と科学者(大学の教員も含む)へのアンケートでは問21でさらに詳しく質問しています。尚、ニュージーランドでは教師の95%が上記の質問には賛成と答えており、また86%がニュージーランドでの科学技術に関わる価値観の議論を生物学の教育課程の中に取り入れるべきだと考えています。
遺伝子工学に特に関連した教育を調べるため、ニュージーランドの高校教師と同じ質問を教師、科学者、筑波大学教職員にしました(問21)。
科学者と大学教職員に対して:
問21a. あてはまる答えの番号のすべてをマルで囲んでください。大学で教えた経験のある方のみお答えください。あなたは遺伝子工学について大学で教えたことがありますか。
1 はい、大学生に 2 はい、大学院生に 3 いいえ
高校の生物の教師に対して:
問21a. あてはまる答えの番号のすべてをマルで囲んでください。あなたは遺伝子工学について高校で教えたことがありますか。
1 はい、高校3年生に 2 はい、高校2年生に 3 はい、高校1年生に 4 いいえ
科学者、大学教職員、高校の生物の教師に対して:
問21b. あなたは授業中遺伝子工学に関する社会的、倫理的、または環境の問題について論じたことがありますか。 1 はい、社会的問題について 2 はい、倫理的問題について
3 はい、環境の問題について 4 いいえ
問21c. あなたは遺伝子工学に関する下記の問題のために大学でカリキュラムをさらに組むべきだと思いますか。 1 はい、社会的問題について 2 はい、倫理的問題について
3 はい、環境の問題について 4 いいえ
高校の生物の教師には、各学年で生徒に遺伝子工学関連の社会、倫理、環境問題を教えたことがあるかどうか質問しましたが、およそ半数が教えたことがあると答えています。結果は表8-6に示してあります。話し合われた問題としては、問21の回答者のうち41%が社会問題、50%が倫理、57%が環境を取り上げていました。教育課程にこれらの問題を含めることへの支持はもっと高くなっていますが、討論は支持しても教育課程に含めることは反対する教師もいました。どんな問題を教育課程に含めるのが適当か、またそれをどのように教室で取り上げるべきかを決めるにはさらに突っ込んだ研究調査が必要です。こういった問題を教育課程に含めることに関しては、ニュージーランドでは圧倒的多数の支持があるのに対し、日本では比較的少ないようです。また実際ニュージーランドの生物のクラスでは日本よりもっとこういう問題を取り上げているようです(図 8-4)。
この質問に回答を寄せた筑波大学教職員のうち、わずか15%(16人)が大学院生に、11%(12人)が大学生に遺伝子工学関連の社会、倫理、環境問題を教えたことがあると答えています。しかし生物科学専攻は22名しかいなかったので、このグループで遺伝子工学教育について見てみましょう。22名のうち、大学生に遺伝子工学を教えたことがあるのは18名、大学院生には7名でした。この18名のうち、社会問題について話したのは5名、倫理問題が6名、環境問題は8名でした。大学院生に教えた人でも同様の割合でしたが、このサンプル数では一般的結論をだすのに充分ではありません。遺伝子工学を教えたことがある人達の問21cの回答は、筑波大学教職員全体と学術関係者のものと同じでした。回答者のおよそ半数が倫理もしくは環境問題について話したことがあり、社会問題についてはそれより少なくなっています。
しかしこれらの問題を教育課程に含めることは強く支持しており、回答者の61〜77%が賛成しています。科学者達の回答も同様ですが、問21に回答した人のうちではこれらの問題を教えたことがあるとしている割合はもっと高く(遺伝子工学を大学院で教えた人は63人、大学で教えた人は72人)、3分野全てが話し合われ、教育課程に含めることへの支持も高校の教師と同様でした。遺伝子工学を教えたことがある回答者のうち、企業の雇用者の方が問21cを強く支持しています。環境問題の討論は8/9、倫理問題は7/8が含めることに同意しています。
これらの問題に関する教育の実態を特に取り上げた日本でのもう一つの調査が1991年7月に行なわれました。大学教員からは52%の回答がありました (N=416, Honda et al. 1992)。回答率は本調査と同程度ですが、性別で見ると95%が男性でした。その調査ではいろいろなトピックスが大学で教えているコースに含まれているかどうかを調べています。「ヒト以外の種に応用した遺伝子工学」は47%、「ヒトへ応用した遺伝子工学」は24%がカバーしており、「体外受精」の30%や「避妊」の12%、「人工流産」の9%、「代理出産」の11%と対比されます。また調査の中で生命倫理の問題として取り上げられたものとしては他に、「環境破壊と生物」を大学のコースで論じたと答えた人は47%、「遺伝子工学」は37%、「ヒトの生殖生物学」が18%、「ヒトの生物工学」が13%「ヒトの健康と病気」が23%となっています。
これらの問題がどのように教えられているのか――科学のコースに含まれているのか、生命倫理の特別コースがあるのか――調べる必要があります。生命倫理の特別コースは日本では早稲田大学などの限られた大学にしかありませんが、それも医療問題中心です。医療以外の問題を含んだ講義は筑波大学生物科学系で行なわれていて、一般的な生物学の講義でも生命倫理が多少論じられています。また科学哲学と生命倫理が東京工業大学の生物学の講義で教えられています。しかし日本のその他の大学ではまだかもしれません。本調査の結果から見て、倫理問題等の討論も含めた特別科目を科学コースで教えるよう、科学者にも奨励すべきです。
成人教育の場を増やす努力も必要です。これらの問題を放送大学の講義で教えることもできますが、これはまだ限られた地域でしか受講できません。NHKのようなテレビ網が積極的に取り組むことも必要です。出版物もありますが質はまちまちです。いずれにしても一般市民がこれらの問題の情報を得る上で、当然マスコミが主要な媒体になります。
表 8-5:科学教育 結果は%で表示
表8-6:遺伝子工学関連問題の教育
図 8-4:遺伝子工学に関連する倫理、社会、環境問題の教育を日本とニュージーランドで比較(両国とも高校の最後の2学年間の生物のクラス)。(問21)
科学がマスコミでどのように伝えられているかを調べるために、いくつかの質問(問1〜4)をしましたが、その結果はすでに第3章で議論しました。メディアによる報道の質はどう評価されているかを見るために、大学スタッフ、科学者、高校教師へのアンケートにはニュージーランドのCouchman & Fink-Jensen (1990)と類似した質問(問15)を使用しました。
問15. 日本におけるマスコミの科学技術に関連する取り扱いについて、次のどの表現が一番適切だと考えますか。
1 優れている 2 非常に良い 3 良い 4 普通
5 悪い(少ない) 6 非常に悪い(非常に少ない) 7 極めて悪い(ほとんどない)
特定のグループへのアンケートの中の問15はマスコミ活動に関するもので、回答は7段階に分けました。結果は表8-7に示す通りです。活動に対してはやや否定的なイメージがあり、科学者の34%、教師の30%は取り扱いは悪い(少ない)としていました。日本の教師と科学者はニュージーランドの科学者に比べ科学的メディアへかなり悪いイメージを持っていました。第3章で議論したように、この違いは科学番組の質だけでなく、そのような番組がどれだけ放送されているかの違いを反映していると思われます。しかし、このことに関する客観的な分析はなされていません。いくつかのコメントを以下に挙げます。(教=高校の生物の教師、学=学術関係者、それ以外は一般市民からのコメントです。)
「新聞による差が大きい、トピックスばかり大きく取り上げ、結論的なものあるいはこれの否定的な結果を報道しない。または最初から否定的な立場に立ってのみ報道する。」教
「テレビのニュースのキャスターに至っては最悪!一般大衆に対して不安感をあおっている。」学
「多い少ないの問題でなく、科学技術の内容とその捉え方、社会的影響に対する考え方見方が存在しない。」学
表8-6:遺伝子工学関連問題の教育
表8-7:マスコミの影響 質問「日本に於けるマスコミの科学技術に関連する取り扱いについて、次のどの表現が一番適切だと考えますか。」の回答(%)
問18. あなたがそのように考えるようになった情報源は何ですか。
1 友達、家族がそう言うから 2 テレビで見て 3 新聞で読んで
4 宗教上の信仰から 5 その他( )
この質問では回答者がアンケートへの回答を決める際によりどころにした情報を主にどのような情報源から得たかを聞きました。結果は表8-7に掲げてあります。新聞、テレビの重要性は明白で34〜36%がどちらかを挙げています。しかし回答者の46%はその他の要素を書いており、中には、友人6%、宗教4%もありました。「その他」の中には書籍、雑誌、さらには自分自身の考えというものもありました。
この質問の日本語は意味がやや曖昧だったので、アンケート内での位置が変わると(問17の後ではなく、問14の後)、その位置に密着した答えを書いた人もいました。子供に遺伝子治療を受けさせるかどうかの問14の後では、子供を救うためなら何でもする、あるいは自分が遺伝病に苦しんでいるのでどのような治療でも試すと答えた人も何人かいました。特許についての問17の後では、特許法に関連した答えをかいた人がいました。いずれにしても、第7章で取り上げたように、人々が決定を下す方法を理解する上で貴重な質問です。
科学者は他のメディアよりも新聞を利用する傾向があり、29%が新聞を挙げています。テレビ19%、友人3%、宗教も3%でした。その他、本、個人的な考え等の情報源を挙げた人も73%いました。教師の44%は新聞、33%はテレビ、2%は友人で宗教はありませんでした。55%は他の情報源がこのアンケートの回答に重要だったと答えています。科学者が引用する医学誌の研究に見られるように、マスコミは一般市民だけでなく専門家にとっても情報源です(Phillips et al. 1991)。学術関係者は全ての文献を読むことはできないので、メディアが研究を詳しく説明します。最も重要な発見は通常メディアが報道し、その報道の仕方は一般市民、教師、学術関係者等全てのグループにとって重要です。
情報の収集方法が以前日本で調査されています。ビジネスマンを対象とした日経の調査(1983)では、バイオテクノロジーの新聞記事に関連して読書習慣について質問しました。「注意して読んでいる」が18%、「目につけば読む」が66%。残りは「見出しを読む程度」あるいは「ほとんど読まない」でした。記事内容について「かなり容易」としたのはわずか23%でした。バイオテクノロジーの情報はどこから入手するかの問いに対しては、「新聞」86%、「テレビ」55%、「業界紙」37%、「一般雑誌」22%でした。1985年の世論調査(N=7439, 総理府広報室 1986a)では、ライフサイエンスの主な情報源について質問し、いくつかの選択肢から選んでもらいました。「テレビ」79%、「新聞」69%でしたが、その他の選択肢は、「定期刊行物」7%、「科学雑誌」4%、「友人」4%、「本」はわずか1%、情報無しが7%と少数派でした。1990年1月の調査( N=2239, 総理府広報室 1990c)では科学技術全般の情報源について質問しました。「テレビ、新聞、ラジオ、雑誌」90%、「友人や家族との会話」24%、「専門雑誌と本」11%、「博物館と科学展」7%、情報無しは8%でした。1991年、環境庁によって行なわれた調査では(N=1325, 環境庁 1992)、「バイオテクノロジー」と言う言葉をどこで知ったかが質問されました。91%の人が「新聞、テレビ等のマスコミ」、15%が「バイオテクノロジーに関する本を読んだことがある」、13%が「バイオテクノロジーに関連のある施設を見学したことがある」、7%が「その他」 そして1%が無回答でした。メディアは人々に情報を提供するうえで明らかに重要で、一般市民の科学に対する関心を見る3.1.節でもこの点が現われています。メディアはまた、多くの科学者や科学関係の本よりもわかりやすいメッセージを提供してくれるため、科学者自身がコミュニケートできる日まで主たる情報源であり続けるでしょう。
これは他の国でも同様で、例えば1991年のオランダでは、遺伝子工学について聞いたことがある一般市民は75%、その内の75%はメディアを通して知ったとしています(Hamstra 1991)。メディアは一般市民を教育し、バイオテクノロジーを一般にレポートする重要な責任があります。バイオテクノロジーにおける一般市民の利害にかかわっている全てのグループは、自らのメッセージを伝えるのにメディアを利用すべきです。一般市民は自分達が読むものをはっきりと見分けるようになってきていると私達は考えます。アメリカ、イギリスの世論調査(OTA 1987, Kenward 1989)が示すように、一般市民はメディアを情報源としてあまり信用していませんが、最も広く入手可能な情報源ではあるのです。
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