病気を治すことから,畑のトマトをより多く育てることまで,医学や生物学の進歩は人々や社会に多くの利益をもたらしている。しかし,同時に,オゾンホールなどのグローバルな問題や,体外受精におけるどの個人的なジレンマなど,科学や技術が難題を生み出していることに,人々は気づき始めている。このような問題のうちいくつかは,高校の生物科と社会科の先生方に,何を教え,そしてどのように考えているのかを尋ねた私たちの調査の題材であった。どのように私たちは意思決定をするのか,私たちは自分自身の臓器を提供したいと思っているのか,私たちは妊娠した女性の胎児が健康かどうか調べたいと思っているのか,また,誰かがガンやエイズだとわかったときどのように対応していくのかというようなことは,生命倫理で取り扱われる問題である。
1993年に,オーストラリア,香港,インド,イスラエル,日本,ニュージーランド,フィリピン,ロシア,シンガポール,タイで「国際生命倫理調査」を行った。調査結果は北アメリカ,ヨーロッパで行われた調査と比較研究した。この調査は生命や自然について,また,科学や技術,バイオテクノロジー,遺伝子工学,遺伝子スクリーニング,遺伝子治療などから選択した問題について,人々がどのように考えているかを知るために行ったものである。多くの自由回答を含め結果は,「Bioethics for the people by the people」(英語版,Macer 1994a)として出版されている。1993年12月までに,10か国から総計6000通近い調査用紙を回収した。一般市民を対象とした調査には,合計で150の質問が含まれ,そのうち,35問は自由回答を求めたものである。自由に意見を求める質問は,答えの誘導を避け,人々がどのように意思決定を行うのかを知るために作成した。それぞれの意見は,質問に応じて作られた様々な分類群(15〜35種類)に分け,これらはすべてのサンプルの間で比較した。
調査結果から,「はい」,「いいえ」で答える回答,また,その回答に対する理由の双方において,意見の多様性は,基本的にはすべての国で同じであるということがわかった。この結果は,人々は互いにそれほど違ってはおらず,一般的には人種,宗教,性別,年齢,教育とは関係なく,すべてのサンプル中で,意見には同じような多様性があるということを提示している。この事実は,多くのことを意味している。例えば,人々は,どこであろうと同じ多様性を持った集団である,つまり,どこか遠い国に住む人でも,近所に住む人とまったく同じ考え方を持っているということである。
1993年8月にこれら10か国中の3か国,オーストラリア,日本,ニュージーランドで,「生命倫理教育に関する国際調査」を行った。
将来の社会における生命倫理の成熟のために,そして意思決定を下すことが益々必要となっていく世界にとって,意思決定の教育は非常に重要である。「国際生命倫理調査」において,「生徒が現代の討論に参加できるように,科学や技術に関連する社会的な問題についての議論を学校教育の中に含むべきだ」という意見に,調査したすべての国で90%以上の人が賛成している。回答者を教師に限ると,その支持率はさらに高い。1991年に日本で行った調査 (Macer, 1992a)から,遺伝子工学に関連する倫理的,社会的,そして環境における問題についての議論を学校教育や大学のカリキュラムに含むことについて,強い賛成の意がうかがえる。ニュージーランドで行った調査(Couchman & Fink-Jensen, 1990)と比べると,日本の高校では,ニュージーランドの高校と比べて,遺伝子工学に関連する倫理的,社会的,そして環境における問題についての議論が有意に少ない(以下,この論文では,「有意な」という言葉は統計学的に P<0.05 を意味する)。このような背景から,さらにオーストラリアを加えた,これら3か国における生命倫理教育の発展を長期的に研究する第一段階として,そしてさらには,他の国々もこの研究に参加してくれることを願い比較調査を行った。
アンケートは1991年に英語と日本語で行ったものを改善した。動物実験や体外受精,出生前診断など,科学やバイオテクノロジーにおける他の分野も取り扱った。教材に関する質問も加え,そして,生物科などの理科の教師に限らず,社会科の教師へも調査の対象を広げた。いくつかの質問は,一般市民と生徒の視点を比較するために「国際生命倫理調査」と同じものを用いた。
本書は,「国際生命倫理教育調査」の結果と,教師から寄せられた自由な意見のすべてである。尚,この日本文は,英文テキスト全文を翻訳したものではない。「国際生命倫理教育調査」で用いたアンケートの日本語版は,126頁から132頁に掲載した。日本での調査は文部省,科学研究費(課題番号05680146,60240686,07690193)の助成により,また,オーストラリアとニュージーランドの調査はユバイオス倫理研究会の助成を受けて行われたことを付け加える。
この調査に携わったすべての人々、特に,調査に回答してくださった先生方に深く感謝いたします。
この20年間に,科学教育の研究者たちは,科学を最も効果的に教えるためには技術の応用例とともに科学を教え,社会との関連性のなかでそれらの事象を論じていくことが重要であるということに気付いた。この教育方法は,一般に,STS 教育法(Science(科学),Technology(技術),Society(社会)) と呼ばれている(Ramsey, 1993)。生物学や医学の発展は科学教育の研究者たちに,別の圧力を加えている。すなわち,科学や技術がしばしばもたらす倫理的なジレンマとの直面に対して,生徒たちがどのように対応していけるだろうかということである。生物学に関連する倫理的な問題は,通常,「生命倫理」という言葉で括られる。生命倫理はSTS 教育の一部でもあり,生命倫理教育の調査は,社会的な問題がどの程度,科学教育に含まれているかを知る一つの方法でもある。一般的に,日本ではアメリカ合衆国やオーストラリアに比べて,STS 教育法を用いる教師は少ない。アメリカ合衆国など,ある一つの国を取り上げても,社会的な問題に関する教育や,科学教育をどのように行うかということについては,国内でも様々な見解がある(Waks & Barchi, 1992)。
1993年に共同研究者とともにオーストラリア,香港,インド,イスラエル,日本,ニュージーランド,フィリピン,ロシア,シンガポール,タイで一般市民を対象とした郵送による国際生命倫理調査を行った(Macer, 1994a)。この調査において,「生徒が現代の討論に参加できるように,科学や技術に関連する社会的な問題についての議論を学校教育の中に含むべきだ」という意見に,すべての国で90%以上の人が賛成している。よって,生命倫理に関する教育を学校教育へ取り入れることには,非常に広い支持があるということができる。この調査から,回答者を教師に限ると,その支持率はさらに高いということも分かった。
高校での生物科と社会科において,生命倫理に関連した題材が現在どの程度,導入されているのかを調査するために,1993年に「生命倫理教育に関する国際調査」をオーストラリア,ニュージーランド,日本で行った。
生命倫理という言葉は,国際生命倫理教育調査の対象国として選ばれたこれら3か国の,有意な割合の人々に知られた言葉である。しかし,多くの人々は,生物学や科学一般に関わる倫理的な問題を認識していながらも,この言葉を知らないということがあるかもしれない。したがって,アンケートは,ヒト遺伝子治療のように新しい問題に関連したものについて調査すると同時に,これまでにも取り上げられてきたような題材についても調査するために作成した。また,生命倫理は学校課程の中で,どの科目――生物科か社会科か,その両方か,あるいはそれ以外の教科か――によって教えるべきかという問いもある。それゆえ,私たちはこの調査において,社会科の教師も対象とした。ここでは,この研究における,一般的な生命倫理に関する教育についての主な結論を述べる。
3.1. アンケートの作成
1993年7月〜8月,オーストラリア,日本,ニュージーランドで,「生命倫理教育に関する国際調査」を行った。アンケートは1991年に日本で行ったもの(Macer, 1992)を,英語と日本語のものに改善した。アンケートは全部で110の小問を含む22の大問からなり,この中には自由に意見を求める質問も41題含まれた。ほとんどの質問で,2〜5の選択肢(例,はい/いいえ/分からない,大いに賛成/賛成/どちらでもない/反対/絶対反対)が用意され,その回答に対する理由を述べる欄も設定した。教材を尋ねる質問,生命倫理に対するイメージを尋ねる質問など,いくつかの質問では,意見のみを求めた(Macer, 1994)。自由に意見を求める質問は,答えの誘導を避け,人々がどのように意思決定を行うのかを知るために作成した。それぞれの意見は,質問に応じて作った様々な分類群に分け,これらはすべてのサンプルの間で比較した。
6つの質問は,一般市民と学生の,特定の分野で用いられている技術に対する不安や,科学や技術における利益と危険性の認識,遺伝子工学や遺伝子治療の受容度を比較するために,国際生命倫理調査と同じものを用いた。これらの両者に共通する質問の結果はすでに出版されている(Macer, 1994a; Macer et al. 1995)。
一般的な質問(問1ー4)では,どの教科をどのような学校で教えているのかを尋ねた。各教師の個人的な情報については,アンケートの最後に尋ねた。
自由回答を求める質問の一つ,問5「あなたは生命倫理とは,どのようなものだとお考えですか」は,生命倫理に対するイメージを見るために用意した質問だが,特定の項目について論じる前の,アンケートの始めの方に設定した。ここは,この質問の結果は,アンケートの最後から2番目の質問(問21)の結果と比較する。
問6では,教師が15の特定の項目についてどの程度理解しており,それらの項目を授業で扱ったことがあるかどうかを尋ねた【農薬,体外受精,病虫害の生物防除,優生学,同和教育,コンピュータ, バイオテクノロジー,原子力発電,エイズ,ヒト遺伝子治療,光ファイバー,生命倫理,遺伝子工学(植物について),遺伝子工学(微生物について),遺伝子工学(動物について)】。
これらの6つの項目が,現在,いつ,どのような形で教えられているのかということについて,さらに深く調査し(問9),また,将来のカリキュラムの改変に対する希望についても,同様に調査した(問10)【体外受精,出生前診断,バイオテクノロジー,原子力発電,農薬,遺伝子工学】。
生命倫理教育を行うための教材について,自由に回答を求める質問を3つ設けた。すでに使われている教材について(問11),また,今後必要なものについて(問12,問22)尋ねた。動物実験に関しても尋ねた。
アンケートはA4サイズで3ページ,表裏に印刷され,生物科と社会科の教師一人ずつにアンケートを渡すことをお願いした手紙とともに学校長宛に送付した。切手を貼付した返信用の封筒も同封し,ニュージーランド,オーストラリアについては,日本からではなく,それぞれの国から送付した。日本の全高校(N=1400校)のうち20〜25%に当たる高校を抽出したが,抽出方法は,文部省による全高校リストから無作為に抽出したもの(N=1172)と,1991年に行われた生物科の教師に対する調査の回答校(N=228)を加えたものである。アンケートは1993年7月初旬に送付した。日本の高校へ送付する際には,宛名に学校長の個人名を使い,ニュージーランド,オーストラリアの高校へ送付する際には,個人名ではなく「校長殿」を使った。
ニュージーランドでは1993年8月に文部省の高校リストを用いて,全338校にアンケート用紙を送付した。そのうち,生徒数が1000人を超える高校についてはアンケート用紙を4部送付した(合計で,理科,社会それぞれ375人の教師がアンケートに回答可能)。オーストラリアについては,留学生の受け入れ可能な高校すべてに,電話帳から無作為に抽出した高校を加え,あわせて500校に,8月にアンケート用紙を送付した。また,オーストラリア首都特別地域では11月に教育訓練省からの,調査を行うことに対しての許可の手紙を同封して,公立高校28校へアンケート用紙を送付した。
3.2. 回収率と回答者の性格
日本の生物科の教師からの回収率は40%,社会科の教師からの回収率は27%であった。2ケ月を経ても回答が得られないものについては,督促状を送ったが,その督促状により回収率は5%上昇した。1991年に生物科の教師だけを対象として調査を実施した高校からは88人の生物科の教師,61人の社会科の教師の回答を得,今回新しく実施した高校からは472人の生物科の教師の回答を得た。前回実施した高校からの回答と,今回新しく実施した高校からの回答に有意な差はなかった。
ニュージーランド,オーストラリアの生物科,社会科の教師からの回収率は,それぞれ,55%,48%,26%,22%であった。調査したすべての国で,生物科の教師の回収率は,社会科の教師の回収率よりも高かった。オーストラリア首都特別地域では11月に教育訓練省の協力で,調査を行うことに対しての許可の手紙を同封したが,この手紙により回収率が有意に高くなることはなかった。
回答者の性格を表1に示す。この調査で集められた一般的な情報は,性別,年齢,未婚/既婚,子供,教育,宗教の重要度(宗教性),人種,収入,居住地域(都市部/郡部)である(表1)。これら3か国の回答者である教師の年齢に,有意な差はなかった。しかしながら,おおよその教師人口を考慮すると,ニュージーランド,オーストラリアの教師に比べて,日本では,女性教師の占める割合が有意に低かった。ニュージーランド,オーストラリアでは,日本よりも,大学院を卒業した教師が有意に多かった。また,日本の教師は,ニュージーランド,オーストラリアの教師に比べ,宗教を重要視していなかった。
日本,ニュージーランドでは,調査校は全体を代表しているといえるが,オーストラリアについては,留学性の受け入れに熱心な私立校に多く送付したため,サンプルは全体というよりも私立校を代表している。また,この送付の片寄りのために,オーストラリアの教師はより宗教的であるという結果が出た。
ニュージーランドの高校の内訳は,オークランド18%,ウエリントン9%,それ以外の北島39%,クライストチャーチ10%,ダニーデン2%,それ以外の南島17%であり,5%は住所が記述されていなかった。オーストラリアの高校の内訳は,オーストラリア首都特別地域6%,ニューサウスウエールズ州23%,中央北部の准州3%,クイーンズランド州19%,南オーストラリア州9%,タズマニア州6%,ヴィクトリア州26%,西オーストラリア州7%であった。日本については47都道府県すべてから回答を得た。各都道府県での,各教科ごとの回答者数は次のようになっている。なお,括弧内の各数字は,生物科の教師,社会科の教師の順になっている。東京(21,15),岐阜(14,8),滋賀(6,4),京都(11,6),大阪(12,11),愛知(29,16),群馬(12,9),千葉(15,9),埼玉(17,11),栃木(12,11),福島(14,11),宮城(21,10),岩手(7,7),青森(14,13),北海道(21,23),秋田(9,8),山形(11,9),新潟(9,12),長野(12,11),富山(16,6),石川(10,5),福井(7,6),兵庫(23,10),鳥取(4,3),岡山(7,7),島根(2,2),広島(16,6),山口(9,7),愛媛(7,6),高知(6,3),香川(6,5),徳島(5,3),福岡(10,6),佐賀(7,6),長崎(10,4),大分(4,6),熊本(10,4),宮崎(5,4),鹿児島(12,9),和歌山(8,1),奈良(7,6),三重(14,13),静岡(21,10),山梨(8,5),神奈川(28,16),沖縄(7,2),茨城(9,10),不明(14,7)。
前述のとおり,生命倫理に関する教育を調査するために3つの質問を設けた。問6では,教師が15の特定の項目についてどの程度理解しており,それらを授業で扱ったことがあるかどうかを尋ねた。問9では,問6で取り上げた15の項目のうち6つの項目(体外受精,出生前診断,バイオテクノロジー,原子力発電,農薬,遺伝子工学)に限定し,社会的,倫理的,または環境の問題に関する教育について,自由に回答を求める形式を用いて調査した。問10では,問9と同じ項目を用いて,将来のカリキュラムについて教師の意見を求めた。
4.1. 生命倫理に関連した問題についての知識の度合と教育
全般的に,ニュージーランド,オーストラリア,日本でこれらの項目について,生物科の教師の方が社会科の教師よりも,自己判断による知識度は高かった(表2)。しかしながら,原子力発電についてはこれら3か国の生物科の教師と社会科の教師は,同じ様な知識度を示し,また,農薬,体外受精,エイズについても,ニュージーランド,オーストラリアの生物科の教師と社会科の教師は,同じ様な知識度を示した。さらに,ニュージーランド,オーストラリアの社会科の教師はコンピュータについて,生物科の教師よりも,自己判断による知識度は高かった。
自己判断による知識度の傾向は,その教育にも現われている。すなわち,一般的に,すべての国で生物科の教師の方が社会科の教師よりも,これらの題材をより多く教えていた。3か国の社会科の教師の方が生物科の教師よりも,より頻繁に取り扱っていたのは,原子力発電とコンピュータであり,また,日本においては,光ファイバーについても同様のことがいえる。国の間の違いに注目すると,一般的に,日本の生物科の教師は,ニュージーランド,オーストラリアの生物科の教師よりも,バイオテクノロジー,優生学を例外として,これらの題材についてあまり教えていない。3か国の社会科の教師の中で,オーストラリアの社会科の教師が,最もこのような教育について積極的であり,日本の社会科の教師が一番,消極的であった。バイオテクノロジーに関する教育においてのみ,日本の社会科の教師が,他の2か国の社会科の教師よりも積極的であったが,これは,過去の調査で見られた,日本における「バイオテクノロジー」という言葉の比較的高い普及度を反映しているとも考えられる (Macer 1992, 1994)。
4.2. 社会的,倫理的,または環境の問題に関する現在の教育
問9と問10の結果を表4に示す。表3は,問3と問4の結果であるが,これは,問9と問10で扱った項目に関する利益と危険性についての教師の個人的意見をまとめたものである。教師の3か国中どの国でも,生物科の教師の方が社会科の教師よりも,6つの題材のうち,バイオテクノロジー,農薬,遺伝子工学の3つを社会的,倫理的,または環境の問題として取り扱っていた。体外受精については,ニュージーランド,オーストラリアでは,生物科の教師が多く取り扱っていたが,日本では,生物科の教師も社会科の教師も同じように取り扱っていた。すべての国で,社会科の教師がより積極的に取り扱っていたのは,原子力発電だった。オーストラリアと日本の社会科の教師は生物科の教師よりも,原子力発電を社会的,倫理的,または環境の問題として取り扱っていた。ニュージーランドの社会科の教師は,原子力発電を環境の問題として取り扱っていた。
社会的,倫理的,または環境の問題を含む科学的な題材のなかで,最も頻繁に取り扱われていたのは,すべての国で原子力発電であり,ニュージーランドと日本では農薬,ニュージーランドとオーストラリアでは遺伝子工学,オーストラリアでは体外受精だった。
3か国の理科と社会科,どちらの教師も,環境の問題としてよりも社会的,倫理的な問題として,体外受精,出生前診断,遺伝子工学を取り扱っていたが,原子力発電,農薬については,当然ながら,環境の問題として取り扱っていることが多かった。オーストラリアと日本では,バイオテクノロジーを社会的,倫理的な問題として取り扱っていたことが多かったが,ニュージーランドでは,社会的,倫理的,そして環境の問題として等しく取り扱っていた。
当然ながら,どの国の教師も教師自身が担当している授業で,これらの題材について教えていると答えていた(表5,6,7)。日本では,ニュージーランド,オーストラリアと異なり,地理 (geography)を社会科から明らかに独立した科目とは考えないため,地理も社会科のなかに含んで扱った。オーストラリアでは,どの授業をとってみても,これらの題材は,例えば最後の2年にあたる第11学年,第12学年など,高学年で教えられていることが多かった。一方,ニュージーランドでは,教師は,高校のすべての5学年,第3学年から第7学年を通して教えることを支持していた。日本では,ほとんどの教師は,その教師自身が担当している科目のみを答えており,どの学年で教えているかは特定していなかった。(日本では,科目によって教える学年がほぼ決まっているので,日本の教師は,学年をあえて述べる必要はないと思ったのであろう。)
4.3. 将来の生命倫理教育
6つの項目に関する現在の教育(問9)で見られた違いと比べると,これらの題材に関する将来の教育に対しては,すべての国の教師の間にほとんど違いはない(問10,表3)。すべての国で多くの教師が,遺伝子工学,原子力発電,農薬については特に,さらなる教育が必要だと感じていた。また,オーストラリア,日本では,体外受精についてもさらなる教育が必要だと感じている教師が多かった。教師は,概して,体外受精,出生前診断,遺伝子工学については社会的,倫理的な視点,農薬については環境の問題としての視点,バイオテクノロジー,原子力発電については社会的,倫理的な視点と同時に,環境の問題としての視点が必要だと考えていた。
教師がこのような題材を,どの授業で教えたいと思っているかについて,興味深い傾向が見られた。すべての国で,地理や社会科の教師は,地理や社会科の授業だけでなく,理科の授業でも,このような題材を教えるべきだと考えていた。ニュージーランド,オーストラリアでは,理科の教師は,理科の授業でこのような題材は教えるべきだと考えていたが,日本の理科の教師は,理科と社会科の両方の授業で教えるべきだと答えていた。ニュージーランドでは,理科の教師は,特に,遺伝子工学,バイオテクノロジー,出生前診断について理科の授業の中で教えたいと考えていた。地理や社会科の教師は,理科の授業で取り扱うことも適切であるが,原子力発電,農薬については地理や社会科の授業で中心に教えるべきだと考えていた。オーストラリアでは,地理や社会科の教師は,特に,体外受精,農薬については地理や社会科の授業の中で教えたいと考えており,出生前診断,バイオテクノロジー,遺伝子工学については,主に理科の授業の中で,原子力発電については,理科と社会科の両方の授業で教えるべきだと答えていた。日本では,理科の教師は,体外受精,バイオテクノロジー,農薬,遺伝子工学については,理科の授業の中で,原子力発電については,理科と社会科の両方の授業で教えるべきだと答えていた。一方,日本の社会科の教師は,特に,体外受精,出生前診断,原子力発電,農薬については地理や社会科の授業の中で教えたいと考えており,バイオテクノロジー,遺伝子工学については,理科と社会科の両方の授業で教えるべきだと答えていた。
また,日本の教師の多くは,このような題材を取り扱うことのできる授業として,保健と家庭科をあげていた。ニュージーランド,オーストラリアでは,家庭科について触れている教師はおらず,ごくわずかの教師が,保健の授業をあげていた。日本では,保健と家庭科は大学入試科目ではないので,教師は自由に授業を運営することができるという利点があり,また,すべての生徒がこれらの授業を受講しなければいけないという利点もある。しかしながら,大学入試科目ではないという理由で,これらの授業を重要視しない教師や生徒もいるかもしれない。
以上,将来の生命倫理教育についての様々な意見は,生命倫理はどこに位置付けられるのが一番良いのか,また,私たちはその答えを見つけられるのかどうか,という問に集約される。このような題材は,ある特定の教科にしぼることなく,多くの授業で取り扱うべきだと答えた教師も幾人かいた。また,この種の教育は,学校のみならず,家庭においても行われるべきだと答えていた教師もいた。「その他」という分類には,人類学,オーストラリア研究,保育などが含まれている。この中のいくつかは,日本の家庭科と同じものだと考えても良いだろう。
日本では,問10に続いて,生命倫理に関する教育を取り入れていく際に,誰がその責任を負うべきかという質問をした。有意な数の教師 (Jb=41%, Js=37%) が無回答であったが,多くの教師は,文部省で管轄されるべきだと答え(Jb=40%, Js=42%) ,都道府県管轄 (Jb=16%, Js=11%) ,各学校やそれぞれの教師による責任 (Jb=16%, Js=11%)の順に回答を得た。
動物実験は必要でないと答えている教師がいる一方で,動物実験は必要不可欠であると答えている教師もおり,動物実験の実施数は,状況により,そして学校により実に様々であると思われる。幾人かの教師にとっては,動物実験に関する質問はこのアンケートのなかで最も複雑なものであり,興味深い結果が得られた。動物実験に関する質問への回答を表8に示す。問18において,動物実験に反対する意見には,動物を使う必要はないというもの,また,実際に動物は使っていないというものがあった。何人かの教師,特にニュージーランドの教師は,生徒が動物を誤用し,生命を粗末に扱う恐れがあると答えていた。社会科の教師の多くは,自分の高校にガイドラインがあるのかどうか「知らない」ため,無回答であった(問20)(表9)。ガイドラインがあると答えた社会科の教師もいたが,そのガイドラインがどのような内容のなのかは知らなかった。生命倫理とは何かという質問に対して,動物への懸念を示した教師が数多くいた(表12)。尚,この質問に対する回答はすべて,Macer 94a に報告されている。
「国際生命倫理調査」では,「自然」に対する考えに,多くの人が美しい風景,人が手を加えるべきでないもの,自然との調和を挙げた。この傾向はどの国にも見られる。「いのち」に関しては,大切なもの,生死,神聖さ,赤ん坊,生き物,健康などを挙げる人が多く,命は地球より重いとの回答も目立った。これらの質問への回答の中で述べられた動物に関するコメントの分析は,表10,表11に示す。日本以外の国では「いのち」という言葉の代わりに"life"(生命,人生,生活などの意)を用いたため,楽しみ,苦しみ,活動などという答えもあった。詳細は参考文献1を参照されたい。
6. 1. 生命倫理のイメージ
アンケートの最初で,生命倫理がどのようなものだと思うかと教師に尋ねた。表12に示したように,教師からのコメントは最大2つの分類群に分けられた。日本語のコメントは英訳し,分類群を確認した。コメントはすべて本書に掲載されている。
ニュージーランドとオーストラリアの教師は,生命倫理に対するイメージに関して似たような姿勢を持っていることがうかがわれた。ニュージーランドとオーストラリアの教師は,「どのように生命を扱うべきか」「科学や生物学が問題をもたらす」「使用する前に議論する」「どのようにバイオテクノロジーを応用するか」というようなことを,頻繁に述べていた。一方,日本の教師,特に社会科の教師は,このような意見よりもむしろ,「生命を大切にする」「自然の摂理」「非常に重要な問題」「人間の利益や権利」について頻繁に述べていた。このような違いは,ニュージーランドとオーストラリアの教師は,生命倫理についてより実践的な理解をしているのに対し,日本の教師は,ややあいまいで,あまり実践的ではなく,生命倫理の認識としてはまだ初期の段階にあることを示している。
動物の権利や動物実験について述べたコメントもまた,日本では少なかった。このことは,日本では,動物の権利や動物実験についての懸念が少ないことも示しているといえるかもしれない。オーストラリアでは,医療に関するコメントが多く見られたが,これは,生命倫理に関する教育がかなり発達しているオーストラリアにおける,医学的な事例と論議が含まれたカリキュラムの影響と考えることができる。
6.2.生命倫理に関する教育が必要とされる理由
調査を終えて,私たちは,ほとんどの教師が,生命倫理教育に対して非常に支援的であることがわかった(問21,表13)。概して,オーストラリアの教師は,生命倫理教育に関して最も積極的であった。ニュージーランド,オーストラリアで,生命倫理に関する教育が必要とされる主な理由として挙げられたものは,「人々は世界中でこのような問題に直面している」「科学が問題をもたらす」であった。対照的に,日本では問5で見られたように,「生命を大切にする」が主な理由として挙げられた(表4)。しかしながら,有意な数の日本の教師が,「議論が必要」「生命倫理教育を行わないことは危険」といった考えを示した。このような意見は,表5で示したものよりもより具体的であり,日本の教師が生命倫理に関する教育が必要とされる主な理由として挙げたものは,生命倫理に対するイメージよりもより実践的なものであった。忘れてはならないことは,校長がサンプルである教師を選んだということである。それゆえ,このアンケートに答えてくれた回答者は,回答に片寄りを生み出す可能性を有している。
「議論が必要」「生命倫理教育を行わないことは危険」という分類群に分けられたコメントの中で,多くの日本の教師は,最近のマスメデイアや都会化された環境の影響で,子供たちは命を軽視する傾向にあると述べていた。この種の懸念は,日本に限ったものではなく,ニュージーランド,オーストラリアの教師の中にも,「生命を大切にする」という点をより強調しながらも,同じような考えを示した人が何人がいた。おそらく,若者の間のこのような傾向に対して,日本の教師はより慎重なのであろう。生命倫理に関する教育は,一般的な考え方の風潮にも,影響を及ぼすことができるだろう。オーストラリアの教師は,このような教育に既に関わっているようであり,上述のように,より具体的な理由づけが見られた。
11%〜14%のオーストラリアの教師が,生命倫理のイメージとして医学的な問題に触れていたが(問5),生命倫理教育が必要な理由として,特に医学的な問題に触れていた教師は,ニュージーランド,オーストラリアでは一人もおらず,日本でも,ごくわずかであった(Jb=1.3%,Js=1.6%)。このアンケートでは,医学的な問題についてはあまり取り扱っていないため,このような結果になったと考えられる。このことは,アンケートそのものが教師の態度や考え方に影響を与えうることを示唆している。
「人々は世界中でこのような問題に直面している」「科学を信用しない」というような考え方は,生命倫理のイメージとしてよりも,生命倫理教育が必要な理由として,調査国すべてで頻繁に述べられていた。「科学を信用しない」という分類群のコメントは,「科学や生物学が問題をもたらす」「人々は世界中でこのような問題に直面している」といった分類群のコメントよりも,極端に科学に反対するものであった。多くの教師は,生徒が将来,生命倫理における意思決定をしていくための準備が必要であると,強く感じており,一般市民が生命倫理上の議論に参加していく必要があると述べた教師も幾人かいた。教師たちは,子供たちを教育することに対して強い責任感を抱いている。「どのようにバイオテクノロジーを応用するか」という分類群のコメントは,「科学や生物学が問題をもたらす」という分類群のコメントよりも特定的である。どの国でも,多くの教師がアンケートの最後の部分で,はっきりとした意見を述べていたが,その一つの理由は,アンケートを通して生命倫理の問題について考え,生命倫理や生命倫理教育に対してより広く,そしておそらく,より明確な認識を得たためであろう。アンケートの初めの,生命倫理に対する最初のイメージについての質問には,多くの教師は技術に関するものを挙げていたが,最後の方の質問に対する教師の回答は,科学と技術に焦点を当てたこのアンケートの質問に,実際,影響を受けていたとも考えられる。
6.3. 科学が問題をもたらすということについての同意
生命倫理に関する教育への姿勢は,おそらく,個人的な科学の受けとめ方に関係していると考えられる。6つの質問は,一般市民と生徒を対象として行われた,国際生命倫理調査と同じものを用いた(Macer, 1994a)。調査した3か国のすべての回答者が,科学や技術の生活への貢献を認めていた。オーストラリア,ニュージーランドでは99%の生物科の教師,95%の社会科の教師(一般市民も同様,95%)がこれを認めている。また,これら3か国の一般市民も「科学は生命と生活の質に対して重要な貢献をしている」という意見に賛成している。日本の教師は,賛成度が有意に低いが,それでも83%の生物科の教師,79%の社会科の教師が賛成の意を示している。「多くの問題は,科学の発達により解決できる」という意見に対しては,全般的に,教師は一般市民よりも慎重である。この意見に対して,ニュージーランドの生物科の教師(NZb)の46%,ニュージーランドの社会科の教師(NZs)の32%,オーストラリアの生物科の教師(Ab)の31%,オーストラリア社会科の教師(As)の24%,日本の生物科の教師(Jb)の32%,日本の社会科の教師(Js)の29%が賛成,反対はNZb28%,NZs38%,Ab39%,As58%,Jb18%,Js24%である。
特定の分野で用いられている技術に対しての不安をはかる一連の質問(表3)への回答は興味深い傾向を示している。利益と危険性の認識に関する質問や,理由づけを見るための自由回答は,この傾向をより顕著に示しており,分類分析法により調査が進めらた (Macer, 1994)。最も好意的な回答は,コンピュータと光ファイバーに対するものであった。すべての国で,バイオテクノロジーと遺伝子工学に対する社会科の教師の回答は,有意に消極的であり,社会科の教師の遺伝子工学に対する不安は,理科の教師の不安よりも,有意に少なかった。原子力については,一般的に支持は少なく,特にニュージーランドでは支持は少なかった。体外受精に賛成する主な理由は,不妊症の夫婦を助けるというものであるが,約15%の人は,体外受精は倫理的な問題を生じると答えていた。別の質問では,体外受精を用いた代理を認める人は,NZb54%,NZs46%,Ab38%,As42%,Jb22%,Js18%であった。農薬については,環境に対する不安が健康に対する不安をわずかに上回った。
社会科の教師は,バイオテクノロジーと遺伝子工学を理科の教師よりも理解しておらず(問6),また,すべての国で,社会科の教師の多くが,社会的,倫理的,または環境の問題を教えるのに,理科の授業も適していると答えていた(問10)。社会科の教師は,バイオテクノロジーと遺伝子工学に対して理解が十分でないために,これらの技術に対して有意に消極的だと考えることができる。しかしながら,オーストラリアの教師はオーストラリアの一般市民と同じように,バイオテクノロジーに対してより強い支持を示しているが,同時に不安も多く抱いてもいる (Macer,1994a)。約半数の人はバイオテクノロジーの利点を一つも挙げておらず,残りの約半数の人は,人間の一般的な望みをはじめとして,様々な利点を挙げていた。バイオテクノロジーは不自然であると答えたのはわずか2〜5%の人で,主な懸念は,オーストラリアでは人間による誤用(11〜23%)であった。同様の懸念が遺伝子工学でも見られ,その不安度はバイオテクノロジーに対してよりも大きかったが,特定の例についてはより支持的であった。1991年に日本の生物科の教師を対象に行ったものと同じ調査を,同年,科学者を対象に行ったが,科学者もまた,バイオテクノロジーや遺伝子工学に対する一般的な不安を示していた。このことは,ある題材に対する精通度は,必ずしも不安度の低さに結び付かないことを示唆している。
1991年に行った調査や,国際生命倫理調査でみられたように,遺伝子操作を施された生物の環境への放出についての特定の例については,強い支持がうかがえた(Macer,1994a)。最も高い支持は油汚染除去用細菌,耐病性作物に対してであり,また,半数以上の人が,よりおいしいトマト,健康によい肉に賛成している。乳製品に対しては支持が少ないが,これは,オーストラリアでは,これ以上多くの乳製品が本当に必要なのかという疑問によるものであろう。同じような理由で,競技用魚類への支持も少ない。競技用魚類は楽しみのための遺伝子工学の例である。ヒトの遺伝子治療に関する質問への回答から,教師や一般の人々,学生が治療のための遺伝子治療と,美容への応用のための遺伝子治療を明確に区別していることがわかる。改善のための遺伝子治療(身体的特徴を向上させること,知的レベルを向上させること,より道徳的にすること)への支持は,病気を治すための遺伝子治療への支持よりも低かった。病気治療に遺伝子治療を利用することについては,体細胞(致命的なもの,発病が遅いものの両方),生殖細胞(致命的なもの,致命的でないもの)のいずれでも支持が非常に高く,エイズワクチンへの利用に対しても支持は高かった(Macer 1994a; Macer et al. 1995)。
概して,本調査に協力を頂いた教師は,科学や技術に対して積極的な姿勢を示しており,社会科の教師は,コンピュータや原子力発電に対して,いくらか積極的であった。しかしながら,ほとんどすべての教師が,ある技術に対する自分自身の疑問を述べると同時に,倫理的,社会的,そして環境に対する考慮が全くないままに理科を教えることに対して,いくらかの疑問を投げかけていた。
7.1.現在の使用状況と教科書の分析
今回の調査では,生命倫理の問題を教えるための教材について質問を3つ設けた。これらの質問に対する回答は表14に示す通りである。ほとんどの教師はこれらの問題を教えるのに十分な教材がないと答えていた(問12)。回答は多岐にわたり,特に問22ではその傾向が著しい。「多数/その他」に分類された回答の一般的なものは,科学者の学校訪問であった。南オーストラリア州の120校で行われた調査(SCBI, 1992)では,教師は主に,資料,議論を行うための教材を必要としていたが,私たちの今回の調査でも,同様の結果を得た。6つの項目のうち重要だと思うものはどれかという質問に対しては,第一に遺伝子工学,そして体外受精,エイズ,中絶,安楽死,代理母の順で,代理母にはあまり関心が示されなかった。
1993年から1994年に使われていた日本の教科書を調べた結果,ほとんどすべての生物科と社会科の教科書に,環境に関する問題が掲載されていた(表14,15,16)。3分の2の生物科の教科書に,農薬に関する記述があり,ほとんどの生物科の教科書に,遺伝子工学の技術に関する記述があった。遺伝子工学は,私たちが選んだ6つの主な項目の一つでもあり,ほとんどの教科書に,いくつかの利益と,いくらかの懸念が記載されていた。社会科の教科書には,原子力発電に関するいくつかの議論もあった。さらには,例えば生命倫理が1994年から,倫理の教科書の中で,2〜3ページを割いて紹介されているように,近年の教科書は,生命倫理上の問題をより多く掲載する傾向にある。
7.2. 教材開発
1994年に,議論を提供するための教材を作成し本調査の結果の抜粋を希望した高校の教師に配布した(日本では,およそ500校,オーストラリア,ニュージーランドでは,あわせておよそ,160校)。(この教材は,インターネット<http://www.biol.
tsukuba.ac.jp/~macer/index.htm">でご覧いただけます。)現在,教師からの意見をもとに,教材の改善を試みている。この教材には,生命倫理,生殖技術,ヒト遺伝学,遺伝子工学,動物の権利などの項目が含まれている。この教材は自由にコピーして,使用していただき,さらに改善ができるようご協力をお願いしたい。私たちは,さらに多くの教師が参加し,最終的には,これらの教材のいくつかが,すべての生徒にこのような話題について考えさせるようなカリキュラムの中で使われることを,期待している。
この教材に対する教師からの意見がごく少数しか得られなかったため,1995年に教材の使用に関する調査を行った。「生命倫理教育に関する国際調査」の結果の抜粋を希望し,1994年に教材を受け取った457人の教師に督促状を送った。この督促状には教材に関するいくつかの質問を印刷した葉書を返信用に切手を貼付け同封した。住所変更のため,16人の教師への督促状が送り返されてきたが,残りの441人の教師からは同封の葉書にて43%の人から返答があった。
この教材を使用したと答えた回答者は少なかった。生命倫理の項目については11%,生殖技術の項目については6%,動物の権利の項目については3.4%,遺伝子工学の項目については9%,ヒト遺伝病の項目については11%だった。教材を使用した教師の間では,評価には作文や小論文が最も多く用いられたが,3分の1の教師は,評価を行わなかったと答えた。また,インターネットの利用についても調査したが,18%の回答者の高校がインターネットを利用できる環境にあった。コンピュータの利用に限れば,89%の高校がコンピュータを利用できる環境にあった。今後,インターネットやコンピュータは急速に広まることであろう。
教材があまり使用されなかったにもかかわらず,45%の回答者が,改善版教材を入手したいと答え,25%の回答者が,私たちと生命倫理に関する教育について話し合う時間を持ちたいと答えた(このうち39%の教師が教材を使用していた)。1995年暮れから数名の教師とのインタビューを行い,インタビューを希望していた37人の教師に対して,教材の改善についての意見を求めるアンケート用紙を送った。
この報告書を執筆している現時点では,改善版教材の案内と申込書をファックスあるいは手紙で,日本の全高校(5000校以上)に送っている。これまでの結果から,多くの高校が改善版教材(わかりやすく改善され,教師用の手引きを追加したもの)を希望していることが示唆されている。教材を希望している教師のうち,およそ半数の教師が,この報告書を希望し,また,約半数の教師が,生命倫理に関する問題について授業で取り上げたことがあると答えていた。生物科と社会科の教師以外にも,生命倫理に対して興味を持っているすべての教師にこの教材の案内が行き渡るよう各校長にお願いしたが,すべての科目の教師から回答が寄せられた。
科学や技術に関連した倫理的,社会的な問題を教えることに対して強い支持があり,このような問題はすでに,程度の違いはあるが,これら3か国でカリキュラムの中に取り入れられている。日本よりもニュージーランド,オーストラリアにおいて,このような問題はより多くカリキュラムに取り入れられている。これらすべての国で検討が行われており,このような問題についての議論をより多く取り入れていこうとする傾向にある。日本では,1994年度から,倫理の授業で用いる教科書の中で,いくつかの生命倫理に関する問題が扱われるようになった(Okada et al. 1995)。大学の教職課程でも生命倫理が取り入れられる傾向にある。多くの教師は,このような問題はすでにカリキュラムに取り入れられていると答えていた。どのような題材が扱われているかは問5と問9に示されている。様々な授業で,そして様々な学年で,このような問題が取り扱われていた。これらの問題は,教師の判断で教えるべきだと感じている教師もいた。
どのようにしたら生命倫理に関する教育をうまく行うことができるか,最も適した題材は何か,最も適した授業はどれか,最も効果的な教え方はどのようなものかということについて,研究が必要とされる。生命倫理に関する教育は理科と社会科の両方の授業に適している。もしも,生命倫理が一つの教科としてカリキュラムの中に取り入れられるとしたら,どのように評価を行うかということについて考えていかなければならない。生徒の理解度を知るために試験が科されるかもしれないが,これらの問題についての本当の意味での理解度をはかることは,非常に難しい。一般的な生命倫理に対して,いくつかの道徳的な意思決定に関する教育の評価方法がためされており(Barman & Hendrix, 1983),医学的な題材に対しても,同様に試みが行われている(Rest, 1986; Self et al., 1989)。大切な原理の一つは,これが,白か黒かどちらかに決められることではなく,正しい答えがあるとは必ずしも限らないということである。しかしながら,生徒に考えさせるという過程は,生命倫理の原理のバランスを取ることを教える助けになる(Hendrix, 1993)。生命倫理は学際的なものであるべきであり,また,生命倫理教育はただ情報だけを教えるのではなく,考え方や理由づけ,意思決定の仕方を教えるものであり,このためには問題のバランスを取ることも必要となる。
いくつかの題材においては,理科と社会科の教師の教育姿勢に,有意な違いが見られる(例,科学と生命の質,遺伝子操作された生物の利益,バイオテクノロジーの利益,遺伝子工学の利益と危険性,遺伝子工学により作られた食品に対する不安の度合)。理科の教師は,理科の授業の中でこのような問題について積極的に教えていくべきであり,理科と社会科の教師の知識の度合が著しく異なる遺伝子治療,バイオテクノロジー,遺伝子工学については特に積極的に取り入れていく必要がある。しかしながら,科学や技術の受け止め方が分野によって異なっている場合は(問7,8),一般的に,教師の担当する教科の違いによるのではなく,国による差であった。国際生命倫理調査で明らかにされた一般市民と学生の姿勢と同じように,異なる3か国を通じて,ほとんどの質問に対して教師たちは非常に似通った姿勢をとっていた。特に興味深いことに,各々の教師は,教育に対して異なる体験をもち,教育方法も様々であるのに(問6,9),将来の生命倫理に関する教育については,似たような希望を抱いていた(問10)。
これらの問題すべてにかかわる倫理的問題は単純なものではない。教育の場における最も議論の的になる問題の一つは動物実験である。生物学を教えるためには,動物使用は容認できることであり,それは,人間の病気や遺伝病の治療に役立つと考える人から,動物には人間と等しい権限があるのであり,人間の福利を増進するためのいかなる研究にも動物を使うことは許されないと考える人まで,社会には様々な意見の人たちがいる。動物実験が倫理的かどうかを決める倫理バランスに関係する要因には,目的,目的を達成できる現実的可能性,代わりとなる方法,動物の種,予想される苦痛,不快感やストレスの続く時間,動物の寿命に対する実験の継続時間,動物の数,動物の取扱いの質などがある(Potter,1992)。
動物を使用することで他の動物や人間にもたらされる利益は,研究や教育のために使われた動物の払う犠牲(ストレス,操作,苦痛,生命の喪失)と比べて考量しなければならない。重要な生物学的現象を例証するのに必要最小限の動物だけが使われるべきであり,また,実験はこの条件を満たせるよう適切に計画されなければならない。教師たちが表わした懸念には,動物を犠牲にしないで生物を教える方法はないのか? 実験は動物使用を正当化するに足るだけの重要性があるのか? などもあった。高校の授業において動物実験をするという実際の経験は,明らかに,人々がどのような懸念をもつかに影響を与えるが,これは,人々の倫理的懸念を増すということではない(表8)。
生徒たちが動物について学んだり,動物たちを観察したりする経験が実際にできるような教育ガイドラインや背景が必要である。動物と出会うことがなかったら,私たちの動物に対するイメージは今よりもっと悪いものになってしまうだろう(Donnelley et al., 1994; Lock,1994)。動物の権利の問題は,授業の中で現実の問題を通して倫理問題を議論できる良い機会を与えてくれる (Stanistreet & Williams, 1992; Rowan, 1995; Jamieson, 1995)。生命倫理に関する議論は生徒の認識能力開発に役立ち,遺伝子工学などの話題についての討論は刺激となる有益な方法である(Lucassen,1995)。
「生命倫理」とは,人間が生命に関与することによって生じる倫理的問題を研究することであるが,「生命倫理」は「生命への愛」と呼ぶことができるかもしれない(Macer 1994a)。愛というのは幅広い言葉であるが,これには,利益と危険性のバランスをとるという概念,善い行いをしたいという欲求や害さないようにすることの必要性も含まれる。自分自身と同様に他者を愛すること,つまり自主性を尊重することも,また,公正という考え方,つまり他者を愛して,自分が持っているものを分かち合うという分かち合いの公正もそうである。そして,生命倫理は,生物科学におけるテクノロジーアセスメント,また,新しく生じている問題だけではなく古くからある問題をも含む。
生命倫理という言葉は二つの面から考えることができる。一つは記述的生命倫理としてで,これは,人々が生命というものをどのように見ているか,また,生活の中で生物との道徳的関わり方や責任をどのように考えているかということである。もう一つは規範的生命倫理で,これは,何が善いことか悪いことか,どの原理が一番重要かを他者に教えたり,何かあるいは誰かに権利があり,したがって,ほかの人は彼らに義務を負うなどということを伝えるようなことである。これらの概念は,共に,さらに古いルーツを持ち,それはいくつかのユニバーサルな考え方を共有する宗教や文化様式に起源を遡ることができる(Macer, 1995)。
今回の調査から,教育者にとっていくつかの結論が導き出される。しかし,明らかなメッセージは,どの教科,研究分野も,科学や技術の倫理的,社会的,環境における問題の教育を独占することはできないということである。
将来,生命倫理において成熟した社会を目指すためには,意思決定に関する教育は重要である(Macer, 1994a)。教師の生命倫理に関するイメージ(問5)と,教師の考える生命倫理に関する教育が必要な理由(問21)から,ニュージーランド,オーストラリアの教師に比べて,日本の教師は生命倫理の認識において,依然,初期の段階にあると考えられる。生命倫理に関する教育が普及し発展していく中で,日本の教師の姿勢が変わっていくのかどうか,また,変わっていくとしたら,いつ,そして,どのように変わっていくのかということについて注意深く見守っていくことは,興味深いだろう。論理的思考に関する調査では,日本の生徒はアメリカ合衆国の生徒よりも高い得点をあげており,第7学年から第9学年にかけて能力を発達させていることがわかった(Mattheis et al. 1992)。教師がただ1つの正しい答えを探そうとする傾向のある日本の教育現場で,必ずしもたった1つの答えを出すことのできない生命倫理が日本の教育システムにどのような影響を与えていくのかということも,注目に値する。
この調査に携わったすべての人々,特に,調査に回答してくださった先生方に深く感謝いたします。本調査と生命倫理教材の開発は,文部省,科学研究費(課題番号05680146,60240686,07690193),そして,ユバイオス倫理研究会の助成を受けて行われました。
調査で使用した高校のリストを提供してくださった在日オーストラリア大使館,オーストラリア首都特別地域教育訓練省,南十字星生命倫理研究所のご協力に感謝いたします。また,アンケートの準備では加藤祐子,寺本美奈子,若尾慶子,山西三穂子の皆さんにお手伝いいただきました。片山徹,小熊譲,大谷いづみの各先生には,アンケートの作成において貴重なご教示を賜わりました。ありがとうこざいました。
英語版の参考文献(44ー45頁)をご覧ください。
Darryl Macer, Bioethics for the People by the People, (ユウバイオス倫理研究会1994).
ダリル メイサー,「遺伝子工学の日本における受けとめ方とその国際比較」, Attitudes to Genetic Engineering: Japanese and International Comparisons (ユウバイオス倫理研究会1992) .
メイサー ダリル,「オーストラリア,ニュージーランド,アジアにおける遺伝子テストの社会的許容度と影響」,「神経難病,ヒト・ゲノム研究と社会」pp. 114-22, (ユウバイオス倫理研究会,1994) 326頁。
メイサー ダリル,加藤祐子,「 日本,アジア,太平洋諸国における,疾患および治療の受けとめ方」,藤木典生,メイサー ダリル 編,「神経難病,ヒト・ゲノム研究と社会」pp. 210-7, (ユウバイオス倫理研究会,1994) 326頁。
メイサー ダリル,「筋ジストロフィーと生命倫理の国際状況」 (1994) からだの科学 181, 124-127.
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