日本における高校での生命倫理教育ネットワーク
Japanese High School Bioethics Network
メイサー ダリル,浅田由紀子 Darryl Macer and Yukiko Asada
筑波大学 生物科学系 Institute of Biological Sciences, University of Tsukuba
Email: asianbioethics@yahoo.co.nz, yasada@students.wisc.edu
pp. 2-15 in 日本における高校での生命倫理教育、メイサー ダリル(編)、ユウバイオス倫理研究会 2000年。
1. 生命倫理教育は国際的関心
「生命倫理」とは,人間が生命に関与することによって生じる倫理的問題の研究を意味するが,「生命倫理」は「生命への愛」と呼ぶことができるかもしれない。愛というのは幅広い言葉であるが,これには,利益と危険性のバランスをとるという概念,善い行いをしたいという欲求や害を与えないようにすることの必要性も含まれる。自分自身と同様に他者を愛すること,つまり自主性を尊重することも愛の概念に含まれる。また,公正という考え方,つまり他者を愛して,自分が持っているものを分かち合うという分かち合いの公正も愛の概念に含まれる。さらに,生命倫理は,生物科学におけるテクノロジーアセスメントも含み,また,新しく生じた問題だけでなく古くからある問題も含む。
生命倫理という言葉は二つの面から考えることができる。一つは記述的生命倫理である。これは,人々が生命というものをどのように見ているか,また,生活の中で生物との道徳的関わり方や責任をどのように考えているかということである。もう一つは規範的生命倫理で,これは,何が善いことか悪いことか,どの原理が一番重要かを他者に教えたり,何かあるいは誰かに権利があり,したがって,他の人は彼らに義務を負うなどということを伝えるようなことである。これらの概念は,共に,非常に古いルーツを持ち,いくつかのユニバーサルな考え方を共有する宗教や文化様式にその起源を遡ることができる(Macer, 1994)。生命倫理という言葉が2種類の意味を持つという点も新しいものではなく,英語における「倫理」という言葉の持つ意味に由来する。例えば,アメリカン・ヘリテージ・デイクショナリーでは,「1)a)正しい行いの原理,b) 道徳的価値の理論,あるいはシステム;2) 道徳の一般的な性質や人間が行う特定の道徳的選択に関する研究;道徳哲学」と定義している。
生命倫理教育は,国際的関心となってきている。誰も,決定的な生命倫理の定義を定めることはできないが,生命倫理に含まれる題材は,誰もが直面するものであり,教育者は,教室のなかで生命倫理を扱う方法の開発を模索し始めている。
1993年にアジア太平洋の10ヶ国で行った国際生命倫理調査では,一般市民の90%が生命倫理教育は学校教育の中で必要であると答え,日本の一般市民や他の国々の人々は,生命倫理教育の目的を支持していることが明らかになった。 1993年にはオーストラリア,日本,ニュージーランドで国際生命倫理教育調査を行ったが,これらの国々の教師からのコメントと調査結果は,インターネットで公開している (<http://eubios.info/TM.html>。
ごくわずかな教師からだけしか,補助教材についてのコメントを得ることができなかったため,1995年に441人の日本の高校教師を対象に,教材の使用に関する追跡調査を行った(回収率43%)。この調査により,補助教材は,それぞれの題材について3〜11%の割合でしか使用されておらず,多くの教師が,補助教材は難しすぎると感じていたことがわかった。補助教材はあまり使用されなかったが,45%の教師が改訂版補助教材を希望し,25%の教師が生命倫理教育について話し合うために私たちに会いたいと答えた(補助教材を使用した教師に限ると39%)。1995年暮れに,この中の4人の教師とインタビューを行い,インタビューを希望した37人の教師に,補助教材の改善について意見を求めるアンケート調査を改めて配布した。インタビューによって,改訂版補助教材の形式やデザイン,言葉遣いについて具体的なイメージを得ることができ,それをもとに補助教材がより楽しいものとなるよう図や絵を取り入れ,1996年に補助教材を改訂した。
教材を開発,改訂し,日本のすべての高等学校がこの教材を手に入れられるようにする,というこの一連の活動は,現在も引き続き文部省から支援を受けている。実際,日本全国の高等学校5510校に改訂版補助教材の無料配布の情報を郵便(318校),あるいはファックス(5192校)で提供した(全国の高等学校=5517校;7校は郵便でもファックスでも通信不能)。これまでに,要望のあった800校以上の高等学校に改訂版補助教材を無料配布した。
4. ネットワークの設立
(1) ネットワーク設立の目的
生命倫理教育を進めるにあたり人とのつながりの中での支援が欲しいという意見は,1991年と1993年に日本で高校教師を対象に行った生命倫理に関する調査や,1995年に行った教師とのインタビュー,会議などで教師たちと出会う機会のあるごとに示された意見だった。生命倫理教育に興味を持つ教師との接触が増えるにつれ,ネットワーク設立案は具体化していった。
意見や情報を交換する場を設けることによって,孤立感を味わいつつ生命倫理教育を進めている教師を支援するために,1996年12月に学校における生命倫理教育ネットワークを設立した。1996年3月に,日本の800以上の高等学校に改訂版補助教材を配布した際に,ネットワーク設立についても知らせた。また,第60回日本生物教育学会(300部配布)や1996年5月に開催された環境教育学会(30部配布)など,生命倫理教育に関心を持つ人が参加しているであろう勉強会や会議でも,ネットワーク設立の情報を提供した。ネットワークのメンバーになるためには,簡単な申込用紙に記入するだけであり,メンバーになるために,特別な条件や会費といったものもない。ネットワークでのまず第1の対象は高等学校での生命倫理教育だが,生命倫理教育に興味を持つ人は,誰でも,ネットワークに参加することができる (Asada and Macer, 1997)。
(2) ネットワークメンバーの性格
学校における生命倫理教育ネットワークは様々な専門分野とバックグラウンドを持つ,47名のメンバーから構成されている(1997年9月時点)。1997年10月にネットワークメンバーを対象に実施した基礎調査に回答を寄せた41名のメンバーの性格を表1と2に示す(回収率89%:42名返答,1名は情報を本研究に使用することに不許可)。ネットワークは,ほとんどが高校教師で占められており,女性の割合は20%である。ネットワークメンバーは,14都道府県,主に関東県内から参加している。平均年齢は40歳で,24歳から60歳まで幅広い世代のメンバーがいる。44%のメンバーの最終学歴は大学院卒業以上で,学位取得分野は自然科学分野と自然科学以外の分野にバランスよく分かれている。41人のメンバーのうち,28人のメンバーは,ネットワークでの勉強会に少なくとも1度は参加したことがある。
36人の高校教師のうち17%は女性である。およそ60%の教師が自然科学の教師で(おもに生物:生物科の教師20名:物理の教師1名),およそ40%の教師が社会科,倫理の教師である。また,経験を積んだ教師が多く,ネットワークメンバーの教師は,平均16年間教師として経験を積んでいることもわかった(最低経験年数1年,最高経験年数38年)。44%の教師が大学院を卒業しており,これは,1991年と1993年の調査で得られた18%という値より高い。
大学進学率の違い(2%〜100%)など,ネットワークに参加している教師の勤務する高等学校の大きさやタイプは様々である。この多様性は,生命倫理を語るには「裕福な」状況が必要だという見方を否定し,生命倫理教育は様々な環境で可能だということを示唆しているのかもしれない。
5. 勉強会
ネットワークでは,1996年12月の設立以来2カ月に1度のペースで,1998年3月までに9回勉強会を開き,毎回12〜23名ほどの人たちが参加した。何人かの教師は,勉強会に定期的に参加するために,自らの費用で数時間かけて参加している。これまでのところネットワークの勉強会は,すべて,参加者である教師にとって最も都合の良い時間帯である土曜日の午後に開いている。9回行った勉強会の詳細をまとめたものを表3に記す。
(1) 第1回勉強会
第1回勉強会は,1996年12月7日に,筑波大学で開いた。7名の生物科の教師と7名の社会科の教師が,東京から約60キロのつくばへ足を運び,勉強会に参加した。
この第1回勉強会は,グループとして実際に顔を合わせたいという教師らの強い希望に応える形で実現した。ネットワーク設立以前に私たちが会った教師は,ほとんどの場合,ネットワークをどのように発展させていくかという点について,はっきりとした見通しを持っていなかった。しかしながら,教師達は,生命倫理教育に対して同じような考えを持つ他の教師と「会ってみたい」という願いを頻繁に口にしていた。私たちは,ネットワークが情報提供の場以上のものになることを希望しており,研究者側がすべてを準備してしまえばネットワークが情報提供の場としての役割だけしか果たせなくなるだろうとの考えから,第1回勉強会では,実際にお互い顔を合わせた教師達がどのようにネットワークを進めていきたいと思うのか,フィードバックを得ることを期待した。
それぞれ異なる経歴を持つ参加者が,生命倫理教育という共通の興味を深めることを目的に集まったわけだが,ほとんどの教師にとってこの勉強会は,お互いが顔を合わす初めての機会であり,それゆえ,第1回目の勉強会はオリエンテーション的なものとなった。第1回目ということもあり,この勉強会においては,自由に意見を交換し話し合いをする雰囲気を作り出すことが困難だった。予定していた3時間が経った時点でやっと参加者全員が自己紹介をし,それぞれの持つネットワークへの期待や今後のあり方を述べたにすぎなかった。生命倫理にかかわる話題についてより深く話し合うためには,話しやすい雰囲気を作ることがまず重要である。様々な分野の人が学際的に集まるということそのものが,日本の伝統において比較的めずらしいことだが,第1回勉強会に参加した教師もまた,自由に意見を交換することに慣れていなかった。
さらに,この勉強会に参加した教師は,最近の生命倫理における論議は専門家によってなされることが多く,一般市民は議論についていくことが難しいといった点を非常に危惧していた。しかしながら,その一方で,勉強会での話し方から,教師たちは,いわゆる専門家に議論を先導してもらうことを期待しているようにも見受けられた。
穏やかとはいいがたい雰囲気にもかかわらず,参加した教師たちは,勉強会を2カ月に1度程度のペースで続けることを望んだ。これは,ほとんどの参加者が,忙しい日々の仕事の合間をぬっていくらかの時間をかけて勉強会の会場に赴くことを考えると,2カ月に1度程度の頻度で十分だろう
表1:基礎調査から得られたネットワークメンバーの性格 (N=41)
%s |
|
|
|
職業: |
高校教師 |
|
88 |
|
高等学校以外の教師 |
5 |
|
その他 |
|
7 |
学歴: |
大学院卒業 |
|
44 |
|
学士号取得分野 |
自然科学系 |
33 |
|
|
文科系 |
27 |
|
|
無回答 |
40 |
|
修士号/博士号取得分野 |
自然科学系 |
50 |
|
|
文科系 |
50 |
居住地: |
関東 |
|
66 |
|
関西 |
|
20 |
|
その他 |
|
15 |
勉強会参加回数: |
0 |
|
32 |
|
1 |
|
17 |
|
2-5 |
|
39 |
|
>6 |
|
12 |
高等学校の性格 |
|
|
|
規模: |
<200 |
|
3 |
|
201-600 |
|
17 |
|
601-1500 |
|
67 |
|
>1500 |
|
14 |
所在地: |
関東 |
|
64 |
|
関西 |
|
19 |
|
その他 |
|
17 |
形態: |
公立(国立) |
|
80 (11) |
|
私立 |
|
19 |
|
女子校,男子校 |
|
20 |
|
共学 |
|
81 |
|
普通科 |
|
92 |
|
通信科 |
|
3 |
|
商業科 |
|
3 |
|
養護学校 |
|
3 |
|
全日制 |
|
97 |
|
夜間制 |
|
3 |
|
中高一貫教育 (N) |
|
4 |
1996年3月の平均大学進学率 35 |
高校教師の性格 担当教科: |
生物 |
|
56 |
|
物理 |
|
3 |
|
社会,倫理 |
|
42 |
考えたためである。また,多くの参加者の移動の便宜を考慮し,次回から会場を東京都内の学校に移すことも決めた。第1回勉強会で明らかになった重要な課題のひとつは,教師たちが建設的な会話のもとにお互いに率直に意見を述べ合い,ともに学び合うことができるような勉強会の進め方を見つけることだった。
(2) 第2回勉強会
第1回勉強会以降,私たちは,ある特定の題材に注目し話を進めることよりも,いかに,すべての参加者が議論に参加するできるか,ということに焦点を合わせた。そのため,第2回勉強会以降,開発教育や環境教育でよく使われる討論方法を導入した(ECOM, 1996)。新たな試みとは,ねらいをはっきりと定めること,参加者に考えたことをすべて紙に書き出してもらうようにすること,勉強会ごとに,あるひとつのテーマのもと,発表者をひとり立てること,まず4人1グループほどのグループに分かれて話し合い,その後,グループ間で意見を交換すること,話し合うときや考えるときに時間制限を設けることだった。
第2回勉強会のねらいは,「生命倫理教育において根本的な課題を見つけ出し,今後,ネットワーク/勉強会で取り組むべき課題を探し出すこと」と「課題を持ち帰り,自分の日常の中で意識できるようにすること」の2点とした。発表は,ネットワークのメンバーのなかでも,私たちが生命倫理教育についての研究を開始した1991年以来,交流を持っている大谷いずみ先生にお願いした。大谷先生は,公民科,倫理・現代社会で10年にわたり生命倫理教育を実践されている。
勉強会では,ねらいをまず説明し,勉強会で話し合ったことや考えたことを効果的に積み重ねていけるように,そして,勉強会に参加したくとも参加できない多くの教師とも理解を深められるように,積極的に考えたことを紙に書いていくよう促した。
私たちが,第2回勉強会で採用したもうひとつの方法は,アイスブレーキングというものである。アイスブレーキングでは,まず,すべての参加者が2人1組となり,1人1〜2分で自己紹介をする。この自己紹介では,まず一方が自己紹介をし,一方は聞くという,時間を区切ったやり方を用いている。その後,2組ずつ4人のグループを作り,パートナーを他の他の人に紹介するという他己紹介をする。この4人1組のグループは,それぞれの勉強会の間,変わらず保たれ,発表者の発表後の話し合いをするグループとなる。勉強会を重ねる毎に,違う人とグループを作るようにすることにより,お互いがお互いを知るきっかけとなっている。しかしながら,表3に示されているように,同じ人たちが同じグループになる傾向も見られた。
(3) その後の勉強会
第2回勉強会において,雰囲気が大きく変わったことに自信を得,その後の勉強会でも,基本的に同じ方法を取って進めている。発表者は,生物科と社会科の教師を交互に立てているが,参加者は,次に誰の発表を聞きたいと希望しているか,自分が発表したいと思っているのか,暗に示唆している。ファシリテーターとしての私たちの役割は,こういった全体の雰囲気をつかみ,それに従い,ある教師に発表をお願いし,発表を促すことである。教師自身が自発的に発表を申し出ることは,これまでのところ非常にまれである。
第3回勉強会では,私たちが数年にわたり交流を持っている熱心な生命倫理教育者である,小泉博明先生に発表をしていただいた。小泉先生は,日本史を教えていらっしゃるが,日本史という教科は,何人かの教師が生命倫理について教えるのに役立つかもしれないと考えていた教科である。第3回勉強会では,「病気」とは何か,授業で「病気」の子どもや家族,「差別」についてどう扱うことができるかということについて検討した。
第4回勉強会のテーマは,動物実験だった。生物科の鈴木宏治先生の先導のもと牛の眼の解剖を実際に行った。鈴木先生が生命倫理教育に興味を持ったきっかけは,動物を殺すことによって「生命の尊厳」を教えるというジレンマだった。第1回,2回勉強会へのコメントとともに,鈴木先生は,ご自分が生徒に対して実施された動物実験に関するアンケート調査の結果とご自分の解剖実験の授業の簡潔な報告書を,私たちに送ってくれた。報告書を読み,私たちは,ぜひ鈴木先生のご経験を勉強会で発表してほしいとお願いし,鈴木先生は,「実験」を参加者と一緒に行った後,話し合いをしたいと提案した。
カエルの解剖にしてはどうか,といった議論もあったが,動物実験の大枠を感じとるためには,1〜2個の牛の眼で十分であり,牛の眼の方が害を与えることも少ないだろうという倫理的判断のもとに結論を出した。この解剖では,はじめ生物実験室を使い,解剖後,通常使用している普通教室に戻り話し合いを行った。普通教室では,テーブルを自由に動かすことができ,討論を促進することができるという利点があるからである。解剖実験を実際に行い,特に社会科の教師には非常に強い印象を残したようである。また,社会科の教師に見られた実験に対する一般的なためらいと,生物科の教師に見られた日常的な実験の受け止め方の違いは,その後,両者が有意義な話し合いを持つきっかけとなった。
第5回勉強会では,ネットワーク設立にも携わっていただいた社会科の井上兼生先生に,環境倫理をテーマに発表していただいた。この勉強会は,参加者が,環境倫理教育や環境教育をどのように生命倫理教育に導入していけるかということを考えるよい機会だった。
第6回勉強会のテーマは,脳死だったが,脳死は,多くの教師が生命倫理教育を行うきっかけとなった題材でもある。すべての勉強会に出席している,生物科の白石直樹先生が,ご自分の授業で使用されているビデオを使いながら,これまで脳死を教えてきた経験を発表された。白石先生が投げかけられた質問の一つ,脳死を人の死と認めるかどうかは生徒の学力レベルと関連があるのではないか,という問いに対して,様々な学校から参加していた教師は活発に意見を交換した。さらに,脳死という題材そのものが多くの教師によく浸透していたため,話題そのものを理解することに時間を割く必要がなく,その分,参加していた教師たちは,一つの題材を異なる教科の様々な視点から取り上げる重要性について理解したようだった。生命倫理のある題材について,様々な教科の教師が協力していける方法を探すことは,グループとしての共通の関心となった。私たちは,それぞれの教師が,自分の学校の違う教科の教師を勉強会に連れてくるよう提案したが,日本の高等学校の学際性を欠く伝統から,これまでのところ実現していない。
第7回勉強会は,日本生命倫理学会第9次年次大会の分科会として行われた。大会は,1997年11月1〜2日,筑波大学にて開かれ,大学教育と高校教育それぞれの生命倫理教育について2つの分科会が持たれた。学者と高校教師が交流を持つことに対するいくらかの抵抗の表れとして,何人かの学者は,高等学校での教育を分科会のテーマとして取り上げることに反対したが,メイサーの大会長としての権限から,この分科会を実現することができた。ネットワークのメンバーから4稿の発表がなされたが,うち3人は高校教師で,これまでの経験を発表した。高等学校における生命倫理教育の分科会は,大学における生命倫理教育の分科会のすぐ後に開かれたため,高校教師のみならず大学教員もこの分科会に参加した。高校教師が発表することにより,高等学校においても生命倫理教育がすでに始められていることを示すことができた。また,ネットワークメンバーである高校教師は,発表に対する前向きなフィードバックを受け励まされた。というのも,何人かの高校教師は,学者ー彼らの言葉でいうところの「権威」ーに協力を求めていくことに惧れを感じていたからである。この大会を通して,数名が新しくメンバーとしてネットワークに加わり,また,発表者以外の2-3人のメンバーも大会に参加した。ネットワークのメンバーである教師の一人から,遺伝学の分科会でも発表が行われ,発表後の討論では興味深い議論が持たれた。
第8回勉強会は,生命倫理教育と総合的学習というテーマのもとに開かれた。発表された田中裕巳先生は,彼の勤務する高等学校全体で10年間にわたり「総合的学習」を実践されている(安彦ら 1997)。総合的学習とは,ある題材について,学校内外の様々な人々,多様な教科の教師により学際的に教育を行うというものである。1997年に全国中央教育審議会から提出された答申では,総合的学習は,高等学校教育における新しい取り組みの一つとして取り上げられた(読売新聞,1997年11月18日,8頁)。
男女産み分け,出生前診断,臓器移植,死の定義などの生命倫理に関する題材を学際的に教えるという田中先生の報告は,参加者に,生命倫理教育をさらに広げる可能性を示した。これまでの勉強会での議論を通じて,参加者にはそういった可能性について実践的に考える準備,つまり,生命倫理教育を総合的に扱うことについて,利点と難しさや不利な点のバランスにおいて考えていく準備があったといえる。
第9回勉強会では,田中先生と同じ高等学校で総合的学習に取り組んでいる生物科の槙本直子先生にご発表をお願いした。槙本先生は,現代の社会的問題を生物の授業で教えている豊かな経験を紹介してくださった。この勉強会では,私たちは,槙本先生の実践報告に学び,ネットワークとして何を具体的にしていけるかについて検討した。
(4) 学校における生命倫理ネットワークニュースレター
ネットワークの参加者とのコミュニケーションの場を提供するために,1997年6月,学校における生命倫理教育ネットワークニュースレターの発行を始めた(日本語)。このニュースレターはインターネット上でも公開している <http://eubios.info/ networkJ.html>。これまでのところ,1997年7月,9月,12月,1998年3月に4号を発行した。ニュースレターには,前回の勉強会の報告,グループ討論の際に模造紙上に書かれたコメントを含む参加者からのすべてのコメント,生命倫理教育のための教材の情報,次回勉強会のお知らせを掲載している。ニュースレターが,毎回の勉強会での時間的制約と,参加者の教師たちの物理的距離を埋める,活発な議論の場としての役割を果たすことを期待している。
6. 個々人の思考の発展
ネットワークでの勉強会により参加者の生命倫理に対する姿勢が変化したのか,変化したのならば,どのように変化したのかを探るために,生命倫理教育ネットワークの勉強会中に書かれ提出された個々人のコメントと1997年秋に実施した基礎調査を用いて分析した。1)2回以上勉強会に参加し,2回以上コメントを提出したメンバー,2)基礎調査に返答し,コメントを教育目的で使うことに同意したメンバーという2つの条件を満たした13人のメンバーを個人分析の対象として抽出した。
この13人のメンバーがどのように勉強会を体験していったかを観察し,勉強会で書かれたすべてのコメントを分析し,さらに,口述で得られたコメントを回想することによって,以下の学びの過程を得た。
肩肘の張らない雰囲気
↓
共有感
↓
話し合い/討論
↓
新しい視点,知識の学び
↓
↓←自らの生活,疑問,興味への振り返り
↓
思考の発展
13人すべてのメンバーが,共有感を感じていた。勉強会での肩肘の張らない雰囲気と共有感は,教師が相互に協力していくことを促した。13人すべてのメンバーが前向きに捉えていたように,勉強会の参加者の持つ多様な背景は,参加者が新しい知識や視点を学ぶ機会を提供した。この段階まで,すべてのメンバーは,学びの過程を経験していたので,ネットワークでの勉強会は,参加者が新しい知識や視点を獲得するための相互の学びの場を提供するという点で,成功したといえるだろう。
7. グループ分析
ネットワークでの勉強会は,生命倫理教育に対するグループとしての考え方を変化させたのか,変化させたとすればどのように変化させたのかを調べるために,勉強会ごとに作成された模造紙上のコメントと1997年秋に実施した基礎調査をもとに分析を行った。この分析は,基礎調査で設定された次の質問に対する回答と,メンバーの勉強会への参加回数を比較することにより行った。
-生命倫理ついてのあなたの考え方は,ネットワークでの活動を通じて変わりましたか?(どのように変わりましたか?)
ーネットワークに参加されてから,何か新しいことを授業に取り入れられましたか?(何を?)
ーネットワークに何を期待していましたか?
ーネットワークに今後,何を期待しますか?
ーネットワークに参加して,最も良かったことはどんなことですか?
(1) 勉強会への参加の影響
勉強会への参加の有無を決定する要因について分析を行った。勉強会への参加を阻む一番大きな要因は物理的距離だった(表2)。強い熱意のもと6回以上出席している人など例外もあるが,ほとんどのメンバーにとって,自らの費用で時間をかけて数百キロ旅をすることは大変なことだろう。
勉強会に一度も参加したことのない人の38%が生命倫理教育について考え方が変わったと答えているのに対し,勉強会に参加したことのあるメンバーでは46%が同様の回答を寄せていることから,勉強会は生命倫理教育について考え方を変える手助けをしたといえるかもしれない。しかしながら,生命倫理教育について考え方が変わったと答えたメンバーが一番少なかったのは,勉強会に1度だけ参加したことのあるメンバーだった。
ネットワークに参加してから,何か新しいことを授業に取り入れたかどうかという問いに対しても,勉強会への出席と考え方の変化と同様の傾向が得られた。しかしながら,全般的に,ネットワークメンバーは何かを試すという段階には到達しておらず,考え,検討し,計画する段階にあるといえる。
ネットワークへ参加する以前のネットワークへの期待と,ネットワークの将来への期待,ネットワークに参加して最も良かったことの3つの問いに対して最も回答の多かった2つを表3に示す。全般的に,メンバーはネットワークに対して精神的な支援と技術的な支援の両方を期待しており,将来にわたってもこの両方を望んでいることがわかる。興味深いことに,ネットワークに参加して最もよかったこととして最も多く挙げられたのは,技術的支援ではなく,「他の人たちに触発された」といったコメントを含む精神的な支援だった。
ネットワークに参加して最も良かったことは何ですかという問いに対する,勉強会に一度も参加したことのないメンバーと勉強会に参加したことのあるメンバーの回答の比較(表3)から,勉強会は精神的支援を最も多く与えたことがわかった。勉強会に一度も参加したことのないメンバーが,ネットワークに参加して最も良かったこととして,精神的支援よりも技術的視点を多く指摘した一方,勉強会に参加したことのあるメンバーは,精神的支援をより多く挙げた。勉強会に一度も参加したことのないメンバーの将来に対する期待から読みとれるように,こういったメンバーは,関東以外の場所で開催される勉強会に参加し,コミュニケーションを深め,ネットワークが,遠くに住むメンバーを考慮しながら発展していくことを望んでいる。勉強会へより多く参加することにより,メンバーのネットワークに対する姿勢が特に変化することはない。
(2) 勉強会で作成されたグループ模造紙上のコメントの分析
模造紙を使った討論形式は第2回勉強会以降,取り入れられた。勉強会ごとに,アイスブレーキング後,参加者は1グループ3-5人からなる3-6つのグループに分かれた。発表後,すべての参加者はそれぞれ,張り付け可能な小さな紙,7センチ四方のポストイットにコメントを書き出した。そして,書き出した言葉について説明を加えながら,各グループに1枚ずつ配布された模造紙に張り付けていった。さらに,ひとつひとつの意見の関連性を見つけ出しながら,グループ内で話し合ったことや新たに浮かんだ考えを,随時,模造紙にマジックで書き込むようにした。
第1回勉強会は,ネットワークの紹介,オリエンテーションとしての勉強会だったので,議論をカセットテープに録音しただけで,グループとしてコメントを書き残すことはしなかった。ゆえに,第1回勉強会はこの分析の対象とはしなかった。第7回勉強会は,日本生命倫理学会第9回年次大会の分科会として開催したため,第7回勉強会もこのグループ分析の対象からはずした。したがって,第2,3,4,5,6,8,9回勉強会をこのグループ分析の対象とした。勉強会ごとの,参加者一人あたりのコメント数は,勉強会のテーマに対する興味や勉強会の昂揚度に必ずしも比例するものではなかった。
基礎調査の結果を考え合わせると,ネットワークでの勉強会の参加者は,学際的な環境のもとでのブレイン・ストーミング的な討論を楽しんできたことはわかったが,参加者が考え方を発展させ深めることができたのか,もしも,できたのならば,どのようにできたのか,という点では何も示唆を得られなかった。個人分析では,様々な教科の教師が協力をすることにより,よりよい生命倫理教育を行うことができると多くのメンバーが考えるようになったという考え方の変化が観察されたが,模造紙のコメントを使用したグループ分析では同様の変化を観察することができなかった。
8. 結論
効果的な生命倫理教育のためには,双方向のコミニュケーションは不可欠のように思われる。ネットワーク活動の個人分析,グループ分析から,ネットワークメンバーは,ネットワークがもたらしたコミニュケーションの機会を,最も良かったこと,有意義なこと捉えていることがわかった。また,ネットワーク活動の個人分析とグループ分析は,生命倫理教育は「生命倫理的」な環境,すなわち,すべての参加者がお互いに学び合い,どのように学ぶかを再検討しつつ学ぶ,生命倫理教育に関する討論の場において最も効果的に発展するであろうというネットワーク活動の前提を支持するものだった。さらに,これらの分析から,ネットワークの将来の活動や生命倫理はグループ学習のなかでどのように学ぶことができるのかという点について,いくつかの提案を得ることができた。
勉強会に参加したことのないメンバーと参加したことのあるメンバーの考え方の比較から,勉強会は,教育実践の場における技術的支援というよりは精神的支援を多く与えたことがわかった。勉強会への参加の有無を決定している最も強い要因は,勉強会会場への物理的距離だった。
グループ分析から,ブレイン・ストーミング的な討論方法は,参加者がネットワークの学際的な環境を楽しみ多くのものを得る助けとなったことがわかったが,逸話的な観察記録から示唆された,議論が深められ発展したという変化は,書き残されたコメントで証明することができなかった。また,将来のネットワークについて,いくつかの目的が挙げられる。ほとんどのグループはどのようにコメントをグループ化し関連づけていくか理解していたが,さらなるステップとして,時間的制約のあるなかで話し合うべき最も重要な問題を見つけだすことにより焦点をあてるべきだろう。さらに,様々な生命倫理教育の方法が教室で与える影響についての研究プロジェクトを進めることも,またひとつの可能性である。
表2:勉強会出席の有無へ影響を与えた要因
勉強会参加回数 |
0-8 |
0 |
1-8 |
1 |
2-5 |
6-8 |
N |
41 |
13 |
28 |
7 |
16 |
5 |
居住地: 関東 |
66 |
24 |
86 |
85 |
87 |
80 |
その他 |
35 |
76 |
15 |
14 |
12 |
20 |
% 女性 |
20 |
8 |
25 |
22 |
35 |
0 |
自然科学/社会 |
61/39 |
83/17 |
50/50 |
50/50 |
60/40 |
20/80 |
平均年令(才) |
40 |
39 |
41 |
40 |
41 |
43 |
教員経験年数(年) |
16 |
16 |
16 |
16 |
16 |
18 |
% 進学率 |
35 |
37 |
33 |
37 |
37 |
20 |
平均学位取得数(/人) |
1.5 |
1.5 |
1.5 |
1.3 |
1.5 |
1.6 |
生命倫理についてのあなたの考え方は,ネットワークでの活動を通じて変わりましたか? |
はい |
44 |
38 |
46 |
14 |
50 |
80 |
いいえ |
49 |
54 |
46 |
86 |
38 |
20 |
無回答 |
7 |
8 |
7 |
0 |
12 |
0 |
ネットワークに参加されてから,何か新しいことを授業に取り入れられましたか? |
はい |
20 |
8 |
25 |
0 |
31 |
40 |
いいえ |
71 |
85 |
64 |
100 |
50 |
60 |
無回答 |
10 |
8 |
11 |
0 |
19 |
0 |
表3:期待と最もよかったこと
|
すべてのメンバー |
勉強会参加経験なし |
勉強会参加者 |
参加以前の期待 |
授業実践 (1) |
情報 (1=) |
人とのつながり (1) |
|
人とのつながり (2) |
人とのつながり (1=) |
授業実践 (2) |
将来に対する期待 |
授業実践 (1=) |
人とのつながり (1) |
授業実践 (1) |
|
人とのつながり (1=) |
拡大,発展 (2) |
人とのつながり (2) |
ネットワークに |
人とのつながり (1) |
情報 (1) |
人とのつながり (1) |
参加して |
励まし (2) |
授業実践 (2=) |
励まし (2=) |
最も良かったこと |
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ニュースレター (2=) |
学際性 (2=) |
|
|
人とのつながり (2=) |
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ネットワークでの勉強会における個々人の経験を分析することにより,ほとんどの勉強会参加者は,生命倫理は様々な教科の教師がそれぞれの強みをいかしながら,体系的な教育計画のもとお互いに協力し合うとき,最も効果的に教えることができると考えるようになったことがわかった。この多くのメンバーが共有する願いにたどりつくまでに1年かかったが,こういった願いのもとに,多くのメンバーは,ネットワーク発展の次の段階として,授業実践を比較し検討していくことが必要だと考えるようになった。1996年12月からのネットワーク活動は,生命倫理教育の実践を広めるよい土台を築いた。ネットワークメンバーは,今後,ネットワークはもっと生徒を考慮していくべきだと考えている。
さらに,個人分析から,肩肘の張らない雰囲気からもたらされた共有感は,メンバーがお互いに話しあうことを促し,また,ネットワークの学際的な環境はメンバーが新しい視点や知識をトピックス的に学ぶことに貢献したという,ネットワークメンバーが辿ったであろう個人的な考え方の変化の道筋が示された。特定の考えの発展をはっきりと示すものは,メンバーの書き残したコメントの分析からは得られなかった。しかしながら,いくつかの比較から,生命倫理で扱われる多くの題材に共通するような根元的な疑問を持ち,同じ疑問を異なった視点から何度も何度も検討することは思考の発展を助けるだろうということがわかった。今後のネットワークの勉強会では,参加者が自らの根元的な問いに気づくことができるよう促すことが求められているのかもしれない。
生命倫理教育ネットワークを通して得たひとつの教訓は,すべての参加者を討論の場に導くことのできる魔法の方法論など,おそらく存在しないだろうということである。ネットワークにおける活動を通して導かれた鍵となる概念は,まず,グループとしての連帯感を築き,参加者の間に信頼感を得ること。また,参加者の背景や今,置かれている状況に対して思慮深い観察をすること。そして,参加者が自ら話し出すまで我慢強く待つこと,である。こういったことは,言うまでもなく当たり前のことだが,私たちはともすれば,「出来上がった」方法論を探し求めるばかりで,こういった点は忘れがちである。
生命倫理教育ネットワークを通してわかったことや,そこから得られた教訓は,生命倫理に限らず,他の様々な問題について人々がどのようにより積極的に議論に参加していけるのかという点についても,手がかりを与えるものである。基本的な必須条件は,人には考える力があるということを信じること,そして参加するすべての人と平等に接することである。十分な時間と共有感のもと,ある「場」が一度設定されれば,そこに参加する人たちは,ごく自然にお互い学び合うようになるのではないか。自己評価と分析を時々行うことは,そこにいる人たちが自分自身で発展していく手助けとなる。社会的問題に対して何の興味を示さない人にどのように興味を持たせるかという課題も大切ではあるが,「場」を設定することにより,もうすでにそういった問題に興味を持っている人々を結びつけ励ましていくことに希望をもつこともできるのではないだろうか。
生命倫理学者や生命倫理教育に携わる人たちの中にも,生命倫理の討論に一般市民が参加する重要性に気づきはじめた人もいる。しかしながら,会議などでこういった意見を公にしたまさにその人が,封建的な枠組みを持ち込んでしまっているということは,よくあることである。このような構図を避けるためには,教育者自身が,どのように学ぶかということを再検討しなければならない。この研究は,人には考える能力があることを信じない生命倫理学者や,生命倫理の専門家ではない一般市民と交流を持つことを避けている生命倫理学者に対して,人々はネットワークを作り,生命倫理を建設的に学ぶために共に歩んでいけることを示している。もしも生命倫理が,その理想を日常の生活の中で実現していくことを求めるならば,生命倫理学者は,一貫性を保つ努力をしなければならない。私たちは,この生命倫理教育に関するネットワークが,実践的な情報を交換するための場だけでなく,参加者全員が自らを反省する場でもあることを切に願っている。経験から切り離して,何かを学ぶことなどできないのだから。
ネットワークの活動は1998年末から1999年3月まで,末岡武志をニュースレター編集長に続けられた。このことはネットワークが社会科と生物学教師の意見交換の場として発展し続けていることを示しています。また,この本に含まれる論文によって,ネットワークに参加していない先生にも私達の発展させたものから学ぶ手助けになればと思う。
9. 参考文献
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日本における高校での生命倫理教育、メイサー ダリル(編)、ユウバイオス倫理研究会 2000年
学校における生命倫理教育ネットワーク
ユウバイオス倫理研究会(http://eubios.info/indexJ.html)