高校「生物」における生命倫理教育

Bioethics education in the high school biology

捨田利 謙 Yuzuru Shatari
石川県立小松高等学校 Komatsu High School, Ishikawa

Email < m115417@cc.juen.ac.jp >.

pp. 79-82 in 日本における高校での生命倫理教育、メイサー ダリル(編)、ユウバイオス倫理研究会 2000年。


 生命技術に関する倫理的問題は,これからの生活に大きな影響を及ぼすことが予想され,それに対する準備をわれわれは行うべきである。高等学校生物では,生命技術に関する倫理的問題を考える内容がいくつかある。その生命倫理的問題を取り上げる場合,教師の一方的な考えを押しつけるのではなく,生徒自身から多くの意見や考えを引き出しながら理解を深めていくことが大切であると考える。このような点からアンケート調査やグループ発表などを用いることはとても有効な手段であった。

キーワード: 生命技術 倫理的問題 高等学校生物 アンケート グループ発表


はじめに

科学技術の進歩は,われわれの暮らしをよりよくしていくために研究されてきた。しかし,最近ではその研究に対する倫理的問題も多く発生してきている。その一つに科学技術の生物への応用の問題が上げられる。これらの問題を扱った報道も頻繁であり,高校生もある程度の知識を得ているものと思われる。しかし,生命技術と倫理的問題点を考えていく場合,知識として持っていても問題の解決にはならない。自分はどう考えるかということまで踏み込んで考えて始めて役立つ知識となると思われる。講義形式の授業だけでは,生徒の考えを教師側が知ることは難しい。また,単純に授業中に挙手させて意見を述べさせるのも容易なことではない。生命倫理というものは個人の信条,倫理観にかかわる問題であり,教師側の一方的な考えの押し付けにならないようにしなければならないと私は考えている。また,マスコミによる報道は一方の立場に立って行われる場合が多い。そこで,授業では多方面から問題を検討できる態度を養わせることを目標に考え,多くの生徒の意見や考えを引き出し,それをみんなで検討しながら考えを深める方法を考えた。ここでは,「1 アンケート調査で生徒たちの考えを集約し,それをもとに考えを深める方法」と,「2 グループに分かれて話し合い,それを発表させる方法」を紹介する。問題を自ら考え答えを探るこの2つの方法により,生物の新しい分野である生命倫理の教育を行ってみた。

授業における生命倫理の扱いについて

生命倫理の問題を授業で扱う場合,どのような点に注意すればよいか考えてみた。

 情報の伝達だけではテレビや新聞のニュースと同じ一方的な語りかけにすぎない。そのような情報は学校でなくても十分受けられる。情報の提供だけに終始しないようにしなければならない。

生命倫理の問題は各個人がどのような生命観を持っているかが問われる。疑問,問題に対し多くの人の考えや立場,見方を情報として取り入れ仮説を立て考察する。その上で,自分の意見をまとめていく。短絡的な答えの出し方でなくそのプロセスを大切にする。

高校生が得るマスメディアからの情報は,人々の興味感心に偏る場合もあり,科学的な解釈とは違った捉え方をする場合がある。それらの問題を,注意深く探り正すことも必要である。

新聞,テレビ,専門書だけでなく,インターネットなどを使い広範囲のデータを集め提供し,データ不足から起こる偏った見方からの誤解を防ぐ必要がある。

授業の実際

  アンケートを使った方法

(ねらい)生命倫理的な内容に限らず,ストレートに問題について活発な議論を授業の中で展開させることはとても困難なことである。いきなり挙手による意見を求めても,最初の1人目が出るまで授業の展開ができない。そこで,授業のはじめ生徒たちにアンケート調査を行い,話題を共通認識させ,その集計結果を見ながら意見を求めていく授業の展開を行った。アンケートの集計結果を見ながらの考察では,挙手による意見交換を容易にした。また,アンケート用紙は,学習前のアンケート欄と話し合いなどの学習後どのように感想・意見をもったかを書かせる欄を設け,生徒(学習者)が学習前と学習後の知識や考えの変容を認知できるようにした。

(授業展開)

1時間目:生命倫理的問題を含む話題の提供

教材は新聞など高校生が普段の生活の中で見聞きしている一般的な情報源をプリントにして配布。

テーマはタイムリーなもので新鮮な話題であること。多くの議論の後,結論が出ている問題より,「今」問題となっていることを考えることが重要。また,それが将来,新たな問題に直面したときに役立つことになると考える。

アンケート調査

話題提供し,それについて考える時間を与え,アンケートに生徒が意見を書いていく。

どこに問題点があるのかを伝えながら,各生徒の様々な意見を自然な形で集められるように,アンケートを作成することが重要である。

2時間目

集計結果と意見交換

アンケート結果から,それぞれの意見の検討と交換を行う。

アンケート結果をもとに生徒の意見を聞きながら問題点にきづかせる。

・アンケート結果を見ながらの考察や意見の発表をきっかけに,生徒同士の意見交換も始まる。

感想

生徒同士の意見交換・議論をさせた後,もう一度自分が最初に書いたアンケート用紙に,意見交換・議論を行った後の,問題に対する自分の考え・感想を書かせる。

(生徒に提供したテーマの具体例)

テーマ:「生殖技術について考える」(受精卵診断をめぐる問題)

生物1B関連単元:「発生のしくみ」「遺伝と変異」1997年2月23日付け朝日新聞よ「受精卵の遺伝子診断 是非判断先送り(産科婦人科学会)」の記事より話題提供。

ヒトゲノム計画をはじめ,遺伝子技術の飛躍的な進歩により様々なことが可能となってきている。それらの技術を人に応用していく場合,ある便利な一面だけで行ってはならないことがある。特にヒトの生命に関わる問題はそうである。人々には色々な考えの色々な立場の人がいることを忘れてはならない。科学技術とそれを受ける人々は常に対等でなければならないし,新しい科学技術を人々が一方的に受け入れなければならないわけでもない。受精卵に対する遺伝子診断の是非を考えることにより,新しい生命技術に関わる場合の,われわれのよりよい態度を学べないかと考えた。

テーマ:「生命の死について考える」(脳死にいて)生物1B関連単元:「動物の刺激の受容と反応」

1997年10月17日付け各紙「臓器移植法施行」の記事より話題提供。

脳のはたらきの授業の中で,脳死と臓器移植についてとりあげた。命をめぐる問題においては,専門家と一般の人の意見が必ずしも一致していない。「脳死」という言葉だけは広まったが,何のための議論であるかということが,一部の人の認識にとどまってしまっているのが現状である。また,脳死については生徒の理解度も低いものであった。その中で生物の死とはどんな状態であるのか,という問いかけからはじめ,脳死と植物状態の違い,そして臓器移植の問題について自分なりの意見を考えてもらい,脳死をめぐる問題点を探ることを目標とした。さらに,自分はどう考えているのかということと,他の立場の人はどう考えているのか,なぜそう思うのか,を考えてみることにも重点をおき指導した。

グループに分かれて話し合う方法

展開(授業クラスの班単位での研究)

(ねらい)

 小グループをつくることにより,意見の交換のしやすさと,相手の意見に耳を傾けじっくり話し合わせることをねらった。また,大勢の前での挙手による発言ではないため意見が出しやすくなることも良い点である。クラス全体が同じテーマで行うのではなく,各グループが独自のサブテーマを設定するので,最後のまとめの発表で自分たちのテーマ以外の内容について,お互いに学び合うことができる。

(授業展開)

1時間目:

新聞記事などにより,新しい生命技術に対する問題を提起する。その後,それぞれ4-5人の小グループに分かれ,サブテーマを決め,新しい生命技術に対し様々な角度から是非を考えていく。

(新聞記事の例)

テーマ 「遺伝子解読計画」は人類になにをもたらすか

20世紀が物理学の世紀だったとすれば21世紀は生物学の世紀になるだろう。内燃機関,電気,原子力が今世紀の科学の発達を規定したが,人間を含めた,生き物の遺伝子の解読という新しい生物学は,来世紀の科学の発達を決定づけるものになりそうだ。

人類は初めて,遺伝子暗号という,生命の設計図を手に入れることになる。この設計図には生物に関わる全遺伝子の正確な中身と構造だけでなく,生物学的なはたらきを引き起こすために,特定の遺伝子のスイッチをいつ,「オン」あるいは「オフ」にするべきかを制御する遺伝子を含む。

人間に当てはめると,前立せんガンやアルツハイマー病にかかりやすくなる遺伝的素因は何かがわかることを意味する。青い眼や黒い肌を生み出すためにはどんな遺伝子操作をすればよいかもわかるだろう。

ヒトゲノムは,複雑にたたみ込まれたDNAをほぐしてつなげると長さ約1.5m,30億個の文字からなる。そのすべてが,他の何百種類もの生物のゲノムと共に,2005年までに解読されそうだ。文字には。42億年の進化の歴史が記録されている。すべての遺伝子を見分け,配列の全ての文字を解読すれば,人間が他の種とどこが違い,どこが同じなのか,最後には明らかになろう。「ゲノムの時代」に,自らの種を造り直せる青写真を持ったとき,人間は,本当の意味で,自分自身の運命という最後の未踏の領域にたどりつくのである。何千年もかけて進化してきたゲノムを改造するため科学が干渉するとしたら,いったい文化と自然の境界はどこにあるのか。遺伝的な干渉で,禁止すべきものがあるとしたら,それは何か。これらの問は,新しい生物学が突きつける重要な倫理的問題である。

「読売新聞」1997年7月10日付け 特集「20世紀を語る」より抜粋

(サブテーマの例)

A「遺伝子治療は必要か」ヒトが遺伝子に手を加えることについて

B「遺伝子診断は必要か」個人の遺伝子情報を明らかにすることについて

C「遺伝子くみかえ作物は必要か」ヒトが新しい生物を創造することについて

テーマを決めた後,グループ内で話し合いを行うのだが,問題に対する情報をもたない状態で深く話し合うことはできない。そこで,サブテーマにそって各グループや各自が資料集めを行う。その作業を行う時間は,長期休業中の課題をあてたり十分な期間を与えることが必要である。

2時間目:

班ごとに机をよせあって話し合いを行う。話し合いの方法は,ただ顔をつき合わせて話し合うのでなく,以下のような方法で行った。

新しい技術には,必ずそれが必要である理由があるはず。そこで,技術がもたらす恩恵を各自が自由にメモに書き込む(10分程度

)次に,技術がもたらす問題点を同様にメモに書き込む(10分程度)

模造紙に自分の書いた意見(メモ)を貼り付けながら「必要か?不必要か?」について,グループごとに話し合い,気づいたところや話し合ったことは随時模造紙に書き込む。書き込みを入れた模造紙は,最終的に他の人が見てわかるような発表用のポスターに仕上げていく。(30分程度)

時間内に終わらない班は,次の時間までに発表用のポスターを完成させておく。

3時間目:

(4)全体での発表

・話し合いに使った模造紙を黒板に張り,話し合われたことを代表者が発表し,必要か必要でないか結論を述べる。それをもとに全員での意見交換,質問を行う。(発表例[要約])

B「遺伝子診断は必要か」

2班(6名)[結論]必要である 

恩恵としての「新しい人生設計」「可能性の拡大」に対して,診断の結果「生きる気力を失う」「発病予防のための規制された生活」「プライバシーの保護」といった問題や,「病気を知った時のショックはどうケアしていくのか」といった問題がある。しかし,診断を受ける人はその結果も含めて責任をもって受けるべきである。診断は個人に受ける権利があるが,受けた結果に対しては,自分で責任をとる義務がある。

4班(6名)[結論]必要でない 

費用の問題はいずれ解決できる問題であるが,治療不可能なものを診断した場合や,中絶や差別の問題,その他知りたくない,あるいは知られたくない遺伝情報をどうするかといったものや,精神的なものは解決できない。寿命などを診断することにより人間の生き方が決められてしまうことや,病気の人たちを排除するような考え,障害者への偏見など,診断技術が発展しすぎるとかえって生きにくい世の中になってしまう。

終わりに

「アンケートを使った方法」は生徒の意見を引き出す苦肉の策といえる。このやり方は生命倫理の問題を考える場面だけでなく,生徒への働きかけの手段として,とても有効なやり方の1つと考えている。

アンケートに答えることにより自分の考えがまとまり,何よりも問題の所在を明らかにしていくことができる。しかし,そのねらい通りの効果を期待する場合,アンケートの作成が鍵となる。うまく問題点を掘り下げて考えていけるような設問を工夫する必要がある。また,アンケートの集計結果をもとに,みんなで考えることで,「自分だけが間違った意見だったらどうしよう」「こんな意見を言ったら恥ずかしい」などと挙手による意見を述べることをためらっている生徒にも発言しやすい雰囲気を与えることができるようである。また,集計結果から他人の意見に耳を傾けたり,反対の立場になってじっくり考えたり問題を客観的にとらえるきっかけが増すように思える。しかし,マイナス面としては,アンケートの作成が不自然に意図的である場合や,アンケート集計の結果,多数意見にみんなが同調したりする場合,多くの立場の様々な意見を大切に扱うというねらいから外れる危険がある。その点に注意しプラス面が生かされるような配慮が必要である。

 「グループに分かれて話し合う方法」では,小グループということもあって,膝を突き合わせて自由に意見交換したり,発表用のポスター作りも兼ねたやりとりで,楽しく話し合いが行われているようであった。そのためか,発表するときには生徒の様々な見解,想像力が存分に発揮された形となった。また,生徒の発想がおもしろく,話を聴きながら,生徒の意見に感心する場面もあった。講義形式ではない形態をとることにより生徒たちは,いつもと違った何かを感じ,興味関心が高まっているようであった。

 生命倫理の問題を生物の授業の一環として取り上げたわけだが,限られた授業時間の中で,授業内容に合った話題を提供していくために,今後も一層の工夫と改良が必要である。また,授業時間数の減少の中で,教科書プラスαの内容を盛り込んでいく困難さはこれから益々高まることが予想される。新たにできる総合学習の内容として移行することも考えられるが,高等学校生物教育にプラスα的に生命倫理教育をあえて行うことによって「教育的教授」*が実現できるのではないかと,現在模索しているところである。

*教育的教授=教育の目的である人格の形成と学習指導を不可分のものとする理論
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日本における高校での生命倫理教育、メイサー ダリル(編)、ユウバイオス倫理研究会 2000年
学校における生命倫理教育ネットワーク
ユウバイオス倫理研究会(http://eubios.info/indexJ.html)